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龍拈寺(りゅうねんじ)は、愛知県豊橋市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は吉田山(きちでんさん)。本尊は十一面観音。一色時家の被官で牛窪一色城(同県豊川市牛久保町)主および今橋城(同県豊橋市今橋町)の初代城主であった牧野古白入道(牧野成時)の追善供養のため、子の信成が創建した寺である。 神宮寺、悟真寺とともに吉田三ヶ寺の一つとされ、曹洞宗の東三河における中核寺院である。1945年の豊橋空襲で山門を除く全伽藍が炎上し、唯一残った山門が豊橋市の有形文化財に指定されている。 == 歴史 == === 開山 === 開山には2説ある。1つはかつて存在した寺院跡地に大永初年頃(1520年代初頭)に吉田(今橋)城主牧野信成が亡父古白のために休屋宗官和尚開山で開かれたという説である。今1つは享禄元年(1528年)に尾張国春日井郡大草山福厳寺(現、同県小牧市大字大草)の盛禅洞奭和尚を開山とし、城主牧野信成が亡父古白23回忌の追善のため休屋宗官和尚により始められたと言う説である。いずれの説にしても牧野信成が亡父古白入道追善供養のため休屋宗官和尚により開かれた寺である。 牧野信成は、三河国岡崎城の松平清康によって吉田(今橋)城の対岸の地である宝飯郡下地(しもじ。現、豊橋市下地町)に火を放たれたために城のある渥美郡側から豊川を渡って宝飯郡側の下地へ出陣し戦死して果て、また、当寺へ葬られた。 この時点では牧野氏(三河国宝飯郡牧野城〈同県豊川市牧野町〉より発する)の菩提寺であるに過ぎなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「龍拈寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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