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吉田作弥 : ミニ英和和英辞書
吉田作弥[よしだ さくや]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
田作 : [たづくり, でんさく]
 (n) rice-field tilling
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 

吉田作弥 : ウィキペディア日本語版
吉田作弥[よしだ さくや]

吉田 作弥(よしだ さくや、安政5年(1859年5月13日 - 昭和4年(1929年12月26日)は、日本の外交官
== 略歴 ==

* 安政5年(1859年)5月13日 - 熊本藩士・吉田鳩太郎の4男として誕生。
* 明治4年(1871年)9月 - 熊本洋学校に入学。
* 明治9年(1876年
 * 4月 - L.L.ジェーンズにより受洗。
 * 6月 - 洋学校卒業。
 * 9月 - 同志社英学校に入学。
* 明治12年(1879年)6月 - 同志社英学校余科卒業。
* 明治13年(1880年) - 神戸女学院教師。
* 明治16年(1883年) - 上京し、外務省洋語学所(後の東京外国語大学)にてドイツ語を学ぶ。
* 明治17年(1884年)6月 - 外務省御用掛かり。翌年外務省書記生(専門職)としてオーストリア公使館に勤務。
* 明治21年(1888年)3月 - ハーグ公使館勤務。
* 明治22年(1889年)- サンクトペテルブルク勤務。ボン大学卒業(ドクトルユーリス学位取得)。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世より叙勲。
* 明治25年(1892年) - 帰国。翌年東京帝国大学法学科教師、井上毅文部大臣秘書官兼参事官(京城領事館土地問題解決に尽くす)。
* 明治27年(1894年) - 京都第三高等学校教授(国際法)法学部主事。同志社教師。
* 明治29年(1896年) - 結婚(妻 栄子)。
* 明治31年(1898年)4月 - オーストリア公使館一等書記官。
* 明治33年(1900年)11月 - オランダに勤務、
* 明治34年(1901年)- オーストリア勤務。
* 明治35年(1902年)- オランダ女王ウィルヘルミナより叙勲。
* 明治37年(1904年)9月 - オーストリア勤務を免じられる。
* 明治39年(1906年)- オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世より叙勲。
* 明治41年(1908年)6月 - シャム公使。
* 明治43年(1911年) - 勲三等瑞宝章受章。
* 大正3年(1914年)6月 - 外務省退官。
* 昭和4年(1929年)12月26日 - 死去。
(以上、作弥の孫の榊原美穂子榊原英資夫人)がまとめた作弥年譜から抜粋)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田作弥」の詳細全文を読む




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