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吉田健三 : ミニ英和和英辞書
吉田健三[よしだ けんぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [み]
  1. (num) three 

吉田健三 : ウィキペディア日本語版
吉田健三[よしだ けんぞう]
吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) - 明治22年(1889年))は、日本江戸時代後期の武士福井藩士)、明治期実業家
昭和期の内閣総理大臣吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は養孫に当たる。
== 来歴・人物 ==
1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。1864年脱藩して大坂で医学を、次いで長崎で英学を学んだ。1866年にはイギリス軍艦でイギリスへ密航し、2年間、同国に滞在して西洋の新知識を習得した。
1868年に帰国。一時新潟に居住するが、のち横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店(英一番館)の支店長に就任し、日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。3年後には同社を退いて起業し、慰労金1万円を元手に様々な事業を展開する。英学塾を皮切りに、翌1872年には東京日日新聞の経営に参画。さらには醤油の醸造業や電灯会社の設立、ビールトタンフランネルの輸入など、実業家としての頭角を顕して横浜有数の富豪に成長した。
自由民権運動の高まりを見せていた当時、健三は自由民権・国会開設派の牙城であった東京日日新聞の経営参画を通じ、板垣退助後藤象二郎竹内綱ら、自由党の面々と誼を通じて同党を経済的に支援した。特に竹内とは昵懇の関係にあり、1878年保安条例公布によって東京を追放された際には、横浜の吉田邸に身を寄せている。1881年8月には、竹内の五男・茂を養嗣子とする。
生来心身頑強だったが、1888年の父・謙七の死去後に病を得、横浜にて急死した。享年40。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田健三」の詳細全文を読む




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