翻訳と辞書
Words near each other
・ 吉田勝豊
・ 吉田匠
・ 吉田匡良
・ 吉田十三人衆
・ 吉田千九郎
・ 吉田千尋
・ 吉田千晃
・ 吉田千沙
・ 吉田千絵
・ 吉田半兵衛
吉田半十郎
・ 吉田南舟子
・ 吉田博
・ 吉田博之
・ 吉田博彦
・ 吉田博美
・ 吉田卯三郎
・ 吉田友一
・ 吉田友佳
・ 吉田友利恵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

吉田半十郎 : ミニ英和和英辞書
吉田半十郎[よしだ はんじゅうろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [はん]
  1. (n,n-adv,n-suf,n-pref) half 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 

吉田半十郎 : ウィキペディア日本語版
吉田半十郎[よしだ はんじゅうろう]
吉田半十郎(よしだ はんじゅうろう、1831年天保2年)9月 - 1897年明治30年)8月26日)は、江戸明治時代囲碁棋士江戸生まれ、本因坊秀和門下、五段。方円社設立において本因坊秀甫中川亀三郎を助け、また名称の発案者とも言われる。
==経歴==
江戸新銭座で御納戸金御用達の富裕の家に次男として生まれる。本因坊秀和門に入り、17歳で初段。その後五段まで昇る。1857年(安政4年)の井上幻庵因碩との二子局(中押勝)は、棋譜に残る因碩の最後の対局となっている。1863年(文久3年)三段の時、秀甫と先二で十番碁を行う。
御城碁廃止後は棋士達は対局の機会が失われたが、1869年(明治2年)、36歳の時に本因坊跡目秀悦林秀栄、中川亀三郎、安井算英小林鉄次郎ら若手とともに研究会「六人会」を発足。豪商田口重次郎の援助により、毎月3回、中川、本因坊宅で1年ほど継続され、後に海老沢健造、白石喜三郎なども加わった。その後家元の家禄奉還、1873年の秀和の死などで碁界の基盤は弱まり、村瀬秀甫を加えた碁会などを続けたが、六人会の中の中川、小林、吉田を中心にして、秀甫を迎えて1879年(明治12年)に方円社を発足させた。
門下に酒井安次郎など数多い。娘の菊子は初段に進んだ。その子の吉田俊夫も初段に進み、本因坊秀元秀哉からも期待されたが、ジャパンタイムズ記者となり、『奇美談碁』(1915年)の著書がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田半十郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.