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吉田宗弘 : ミニ英和和英辞書
吉田宗弘[よしだ もとひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

吉田宗弘 : ウィキペディア日本語版
吉田宗弘[よしだ もとひろ]

吉田 宗弘(よしだ もとひろ、1974年8月25日-)は、大阪府吹田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
ポジションはゴールキーパーで、2005年度にJリーグベストイレブンに初選出された。
== 来歴 ==
吹田市立千里新田小学校の4年生からサッカー部に入部し、本格的にサッカーをはじめた。その後、大阪府立茨木高等学校から、慶應義塾大学を経てプロ入り。
1997年柏レイソルに入団。1999年2000年はリーグ戦で約10試合ほど出場機会を得たものの同時期に南雄太土肥洋一に代わって正GKに定着したためレギュラー獲得には至らず、2003年に柏時代の恩師である西野朗を頼って、地元のガンバ大阪に完全移籍。だが、都築龍太の退団によってポジションを掴んだ松代直樹の後塵を拝して正GKを掴めなかった。
2005年にライバルのセレッソ大阪に移籍。移籍後はプロ生活9年目にして初めてレギュラーとなり、リーグ戦全34試合にフル出場。体格と周囲との連携を生かした堅守でクラブの優勝争いと5位躍進に貢献し、ベストイレブンにも輝いた。2006年も2年連続で全試合にフル出場したが、クラブは前年の優勝争いから一転して17位と低迷しJ2に降格。2007年もJ2のリーグ戦全48試合にフル出場(3年連続のフル出場)したが、チームは序盤の出遅れが響いて5位に終わり1年でのJ1復帰はならなかった。
2008年アビスパ福岡に完全移籍。同年は中盤戦以降神山竜一からポジションを奪って20試合に出場した。2009年は神山が故障で長期離脱したため開幕から出場を続けていたが、若手の六反勇治の台頭もあって終盤戦はポジションを失い、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。
2010年JFLFC町田ゼルビアへ移籍。町田では正GKとしてプレーし、チームもJ2昇格圏内の3位に入ったが、スタジアムの収容人数がJリーグの基準を満たしていないためにチームは前年に引き続きJ2昇格は見送りとなった。2011年は若手の修行智仁とポジションを争い23試合に出場。修行が負傷離脱した後はレギュラーを務めて見事J2昇格を果たし、同年限りで現役引退を表明した。
一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手であった。また、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであった。
2012年より町田のGKコーチを務める〔吉田宗弘選手 ゴールキーパーコーチ就任のお知らせ - FC町田ゼルビア(2012年1月9日)〕。
2014年、ガンバ大阪ユースGKコーチに就任〔吉田宗弘氏 ガンバ大阪ユースGKコーチ就任のお知らせ - FC町田ゼルビア(2014年1月15日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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