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吉田平九郎 : ミニ英和和英辞書
吉田平九郎[く]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [く]
  1. (num) nine 

吉田平九郎 ( リダイレクト:吉田雀巣庵 ) : ウィキペディア日本語版
吉田雀巣庵[く]

吉田 雀巣庵(よしだ じゃくそうあん)は江戸時代後期の本草学者。通称は平九郎、諱は高憲。尾張藩士。本草学結社嘗百社の一員として動植物の収集、写生に取り組み、特に昆虫類の図画をまとめた『虫譜』は高く評価されている。月琴、古物にも造詣が深かった。
== 概要 ==
文化2年(1805年)、尾張藩士吉田平九郎の子として生まれた〔吉川(1951)〕。吉田家当主は代々平九郎を名乗り、住所は尾張国名古屋広井三蔵、禄は100石であった〔。
母ゑいは文化10年(1813年)3月3日死去、父平九郎も文政6年(1823年)10月死去し、12月4日家督を相続した〔。当初馬廻組に所属したが、文政7年(1824年)2月29日寄合組に転じ、文政13年(1830年)7月11日平九郎を襲名した〔。
文政頃、水谷豊文石黒済庵伊藤瑞三大窪太兵衛大河内存真等が定期的に開いていた本草会に大窪昌章伊藤圭介神谷三園等と加わり、その頃嘗百社と命名された〔磯野・田中(2010) p.25〕。木曽駒ヶ岳白山等に動植物を採集し、社中では「平九さん」と親しまれたという〔。飯沼慾斎は晩年著書を編述中、不審点がある度に家を訪れ、いつも謝礼として美濃紙を贈っていたという〔。
月琴を嗜んだほか、古物の収集にも熱を入れており、細野要斎岡田文園小寺玉晁小田切春江野口梅居等による同好会に参加し〔、天保3年(1837年)から没年まで毎年1月25日自宅で博物会を催し、古い器物、瓦、貨幣、藩札等を展示した〔磯野・田中(2010) p.27〕。安政2年(1855年)4月14日には御下屋敷脇広場で甲冑出張調を行っている〔。
当初子ができず、一時門人小塩五郎を養子としたが、その後実子角鞠が誕生した〔。
安政6年(1859年)8月24日コレラにて死去〔。家督相続の都合で、藩には27日没として届け出た〔。万延元年(1860年)3月25日、追薦のため七ツ寺で博物会が開催された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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