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吉田 康夫(よしだ やすお、1961年6月11日 - )は、昭和時代後期に活躍したプロ野球選手。 == 来歴・人物 == 日大東北工高(2年時より「工業」がなくなる)入学時は三塁手。強肩であったため、同校で捕手に転向、後の同校野球部監督宗像忠典とバッテリーを組み活躍。の夏の甲子園県予選準決勝に進出するが安積商高に敗れる。卒業後は三菱自動車川崎に入社。1981年、1983年の都市対抗でチームの準々決勝進出に貢献。にはロス五輪野球日本代表に選出され、正捕手として金メダルの獲得に貢献した。同年の第28回アマチュア野球世界選手権でも日本代表となる。 この年のドラフトでは、事前に巨人側から外れ1位か2位での指名を約束をされていた〔。しかし巨人は約束を反故にし吉田をドラフト指名せず、ドラフト会議後にドラフト外で入団させようとした〔。巨人側のこの対応に、吉田は「約束が違う」と入団を拒否した〔。 の都市対抗では1回戦で本塁打を放つなど活躍、三菱自動車川崎は13年ぶりに準決勝進出を果たす。また同年の第13回アジア野球選手権大会、インターコンチネンタルカップで日本代表となる。 同年のドラフトで阪神タイガースから5位で指名され入団。強肩でインサイドワークに優れた捕手として大きく期待された。 正捕手争いにはなかなか加われなかったが、木戸克彦、嶋田宗彦に続く第3の捕手として貴重な戦力だった〔。には嶋田の不調もあり58試合に出場。その後は段々と出場機会が減り、に戦力外通告を受け引退〔。 その後は阪神に残り、引退から2015年シーズン終了までコーチに就いていた。 打撃に難があったが守備には定評があり、しばしば先発出場した〔。二軍では投手として1イニング投げたことがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田康夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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