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吉田 栄勝(よしだ えいかつ、1952年3月22日 - 2014年3月11日)は、日本のレスリング選手。レスリング指導者。吉田沙保里の父。 == 人物 == 1952年3月22日、青森県八戸市出身。八戸電波工業高等学校(現在の八戸工業大学第一高等学校)時代にレスリングと出会う〔父娘でつかんだ栄光 ニュース専修2004年10月号11面〕。 専修大学経済学部に入学後は男子フリースタイル57㎏級選手として1973年の全日本レスリング選手権男子フリースタイル57㎏優勝。同年にテヘラン(イラン)で開催されたレスリング世界選手権及びウランバートル(モンゴル)で開催されたレスリングアジア選手権に男子フリースタイル57㎏日本代表として出場。アジア選手権では銀メダルを獲得している〔 日本レスリング協会データベース〕。また大学対抗団体戦の全日本学生王座戦では専修大学のメンバーとして日本大学を決勝で下して優勝するなど、伊藤良和、吉田光雄らと共に専修大学黄金時代の立役者の一人でもあった。 吉田栄勝と同じクラスの好敵手には荒井政雄、佐々木禎、山路明などがいた。1976年のモントリオールオリンピック代表切符を賭けて好敵手と鎬を削るも、オリンピック代表選考会で敗れた為、代表切符を手にすることは出来なかった。 大学卒業後に三重県へ職員として就職する一方で、一志郡一志町(現津市)に構えた自宅に、『一志ジュニア』の看板を掲げたジュニア向けレスリング道場を開き、自身の3人の子息を含め、多くの子供たちを指導。 2009年にレスリング女子日本代表コーチに就任、2010年アジア選手権では女子チーム監督を務め、2012年のロンドンオリンピックでは女子代表チームコーチを務めた。 2014年3月11日午前7時15分頃、三重県津市の伊勢自動車道の路肩に停車した自動車の中でぐったりしている所を発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。死因はクモ膜下出血とされる〔レスリング:吉田選手の父親急死 くも膜下出血で 毎日新聞 2014年3月11日〕。61歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田栄勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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