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吉田璋也 : ミニ英和和英辞書
吉田璋也[よしだ しょうや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なり]
 (n) a sum of money

吉田璋也 : ウィキペディア日本語版
吉田璋也[よしだ しょうや]

吉田 璋也(よしだ しょうや、1898年1月17日 - 1972年9月13日)は、民藝運動家。医師鳥取県鳥取市出身。
柳宗悦民芸運動に共感して活動。柳宗悦の見出した民藝の美を生活の中に取り入れるため、新たな民藝品を生み出した。これをのちに新作民藝運動と呼ぶ。「民藝のプロデューサー」を自認し、民藝の普及に大きな業績を残した。
また、自らも多くのデザインを残しており、民藝の美を現代の生活に取り入れるために、日常の生活のための衣食住に渡る幅広いデザーナーとしての足跡も大きい。
== 年譜 ==

*1898年(明治31年)鳥取市立川にて生まれる。父吉田久治(医師)母伴代。吉田一郎と命名。
*1917年(大正 6年)新潟医学専門学校(現新潟大学医学部)入学。
*1919年(大正 8年)『攻瑶会雑誌』の編集委員となり式場隆三郎(垣沼)と親交をもつ。
*1920年(大正 9年)白樺派の運動に共鳴し「新しき村新潟支部」を設立。雑誌『アダム』を発行。表紙は岸田劉生など。初夏、千葉県我孫子柳宗悦を式場隆三郎らと共に訪ねる。
*1921年(大正10年)結婚
*1923年(大正12年)改名「璋也」(しょうや)
*1924年(大正13年)京都帝国大学医学部研修科耳鼻咽喉科医員となる。柳宗悦の紹介で河井寛次郎と会う。
*1925年(大正14年)倉敷紡績(株)倉紡中央病院耳鼻科医員。
*1927年(昭和 2年)京都帝国大学より医学博士号を受ける。
*1929年(昭和 4年)奈良市福智院町の武家屋敷に住む。(現重要文化財今西家書院)柳宗悦河井寛次郎志賀直哉らと親交を持つ。
*1930年(昭和 5年)暮れに鳥取に帰る。
*1931年(昭和 6年)鳥取にて耳鼻咽喉科医院を開業。牛ノ戸焼を訪問し新作民藝の試作に取り組むよう説得。「鳥取民藝會」設立。陶芸・木工・金工・染織など多岐に渡り工芸品を試作。新作民藝運動を起こす。
*1932年(昭和 7年)「鳥取民藝振興會」設立。鳥取市若桜街道に「たくみ工藝店」を開店。
*1933年(昭和 8年)東京西銀座に「たくみ工藝店東京支店」を開店。現在の「銀座たくみ」。
*1938年(昭和13年)軍医として応召。中国北方に従軍。中国の工芸の研究を始める。
*1940年(昭和15年)『有輪担架』(牧野書店)刊行。中国石家荘で現地応召解除。一時帰国の後再び中国に渡り工芸を指導。
*1941年(昭和16年)厚民工芸を提唱し北京で新作民藝運動を拡大。
*1943年(昭和18年)北京で「華北生活工藝店」開店。
*1945年(昭和20年)敗戦で北京より京都に引き揚げる。
*1947年(昭和22年)鳥取に帰る。
*1949年(昭和24年)「鳥取民藝協団」組織。「鳥取民藝協会」設立(再発足)。「鳥取民藝館」開設。(翌年鳥取民藝美術館と改称)
*1952年(昭和27年)鳥取大火にて医院・自邸焼失。再建する。
*1954年(昭和29年)「鳥取文化財協会」設立。理事に就任。鳥取城跡(史跡)鳥取砂丘(天然記念物)指定申請。
*1957年(昭和32年)耐火構造の「鳥取民藝美術館」改築。(昭和36年増築)
*1958年(昭和33年)『民藝61号』「新作民芸品監督生産者」。自らの立場を「民芸のプロデューサー」とする。
*1959年(昭和34年)「童子地蔵堂」を開く。
*1961年(昭和36年)「童子地蔵堂」八角ブロック造に改築。
*1962年(昭和37年)「財団法人鳥取民芸美術舘」設立。博物館登録。「たくみ割烹店」(生活的美術館)開店。
*1964年(昭和39年)湖山池湖畔に「阿弥陀堂」を建てる。
*1965年(昭和40年)仁風閣を国の重要文化財とすべく運動。
*1966年(昭和41年)『民芸運動私見』刊行。
*1969年(昭和44年)『民芸入門』(保育社)刊行。
*1970年(昭和45年)妻、歿す。耳鼻咽喉科医院廃業。
*1972年(昭和47年)9月13日没す。(満74歳)
*1974年(昭和49年)鳥取市名誉市民の称号を受く。
*1981年(昭和56年)県政功労者表彰を受く。
(注)木谷清人編「吉田璋也年譜」より抄録。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田璋也」の詳細全文を読む




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