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吉田 知那美(よしだ ちなみ、1991年7月26日 - )は、日本のカーリング選手。ロコ・ソラーレ所属。2014年ソチオリンピック日本代表選手。 == 人物 == 1991年7月26日、北海道常呂郡常呂町(現:北見市)出身。常呂町が日本カーリングの本場でもある環境もあり、小学校2年からカーリングを始め、4年次から大会に出るようになる。 北見市立常呂中学校入学後、2歳年下の実妹である吉田夕梨花、同級生の小野寺佳歩などと共に『常呂中学校ROBINS』を結成、スキップを務める。2006年3月の日本カーリング選手権に常呂中学校ROBINSが出場した際にはトリノオリンピック日本代表でもあった『チーム青森』に予選リーグで勝ち星を挙げるなど中学生旋風を起こした〔吉田知那美 「『楽しい』の こめられた想い」 フォルティウスコラム 2011年4月25日〕〔チーム「常呂中学校」全国3位 経済の伝書鳩 2007年2月27日〕。 中学卒業後は北海道網走南ヶ丘高等学校へ進学。常呂中学校時代の仲間と共に『常呂中学校ROBINS』からチーム名を『常呂JJ』に改め、引き続き同じチームでプレー。しかしメンバーの進学先が異なっていたこともあり、チーム練習の時間が思うように取れず、中学校時代のような成績を挙げることは出来なかった〔〔吉田知那美「誇りを持って前に進む」カーリング女子の躍進に貢献した新鋭 スポーツナビ2014年2月24日〕。 高等学校卒業後にバンクーバー(カナダ)へ留学。当初の留学目的は語学研修だったが、現地での下宿先が日系人カーリングコーチであるミキ・フジ・ロイ邸であったこともあり、改めてカーリングを学び直す〔〔。 日本へ帰国後、故郷の先輩であり、日本代表として二大会連続五輪出場の実績を持つ小笠原歩からの誘いを受け、北海道銀行フォルティウスに参加〔〔 北海道銀行プレスリリース 2011年4月25日付〕。北海道銀行嘱託行員として銀行業務の仕事もこなしながらのプレーでもある〔。フォルティウスでは主にリード(先鋒)を務めている。 2013年12月のソチオリンピック世界最終予選に臨みオリンピック出場決定戦でノルウェーに逆転勝ちし、オリンピック出場を決めた。フィフスを務めた吉田は「(出番がくるのは日本のピンチなので)最後まで出番がなくてよかった」と笑った〔朝日新聞 2013年12月16日東京夕刊4版 11面〕。 2014年2月のソチオリンピックでは競技開幕直前に小野寺がインフルエンザにかかったため、代わってセカンドを務めた。以後一次リーグ9試合中8試合(リード2試合、セカンド6試合)に出場して5位入賞に貢献した。 オリンピック後の2014年3月に北海道銀行を退団し、6月に地元北見で本橋麻里が率いるチーム、ロコ・ソラーレに加入した〔ロコ・ソラーレTOPICS2014年6月9日 〕。勤務先はネッツトヨタ北見。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田知那美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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