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吉田 磯吉(よしだ いそきち、1867年6月5日(慶応3年5月3日〔衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、31頁。〕) - 1936年1月17日)は、日本の実業家・政治家である。 ==人物== 筑前国遠賀郡芦屋村(現・福岡県遠賀郡芦屋町)出身。父、徳平は松山藩士の家に生まれたが脱藩し、芦屋に移住した。両親の死後姉に育てられた礒吉は遠賀川の「かわひらた船」(川艜または川平田舟、別名を五平太船)での石炭輸送で成功し、芦屋鉄道社長などを勤めたのちに政治家を目指した。1915年(大正4年)に衆議院議員に当選し、1932年(昭和7年)まで議員を務めた。 実業家時代、1901年(明治34年)の八幡製鉄所開設時の混乱をとりまとめ、若松港の石炭積み出しなどに貢献した地域の発展の功績者としてその名をたたえられ、1960年(昭和35年)には若松市(現北九州市若松区)高塔山公園に佐藤忠良による銅像が建立された。 火野葦平の『花と竜』に描かれる磯吉親分とは吉田磯吉のことである。ヤクザの研究家である猪野健治によれば、(単なる暴力団ではなく、侠客の意味合いで)近代ヤクザは吉田磯吉をはじまりとする。遠賀川流域の男伊達の気性をいう川筋気質の川筋モン(かわすじ者)の典型人物の一人とされる。 北九州から対岸の山口県への進出も目論んだとされるが、吉田磯吉が憲政会に所属したことにより、同じく近代ヤクザの嚆矢とも目される、衆議院議員の保良浅之助(籠虎)が政友会の支援にて衆議院議員に当選するという構図となり、下関から西への進出は出来なかった。 尚、吉田磯吉と保良浅之助は互いに認め合う「侠と侠」の関係であったと伝えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田磯吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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