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吉田 苞竹(よしだ ほうちく、明治23年(1890年)12月20日 - 昭和15年(1940年)5月1日)は山形県生まれの書家である。字は子貞、苞竹は号で、別号に無為庵主人・逍遙窟主人・清泉などがある。晩年の作品の落款には「苞竹懋」・「懋」など、懋を使用していることが多い。 == 業績 == 大正時代末期から大規模な書道団体の結成が相次ぎ、書道展が開催された。この近代書壇史の始まりという華々しい時期に新鋭として頭角を現わし活躍した書家で、比田井天来が「東の苞竹、西の尚亭」と称したほどである。中国の有名な碑帖などを掲載した『碑帖大観』という今までに例のない出版物を刊行し、また月刊誌『書壇』〔月刊誌『書壇』は昭和3年(1928年)に創刊され、現在も財団法人書壇院が発行を続けている。この財団法人書壇院は昭和18年(1943年)、苞竹没後3年目に設立された。〕を創刊するなど書道の普及に力を入れた。『書壇』創刊号はたちまちに売り切れ、再版するほどの盛況ぶりだったという。この『書壇』で育った大勢の大家が活躍し、書道界の発展に大きく貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田苞竹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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