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吉田長淑 : ミニ英和和英辞書
吉田長淑[よしだ ちょうしゅく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

吉田長淑 : ウィキペディア日本語版
吉田長淑[よしだ ちょうしゅく]
吉田 長淑(よしだ ちょうしゅく(もしくは、ちょうけい、ながよし、とも)、男性、安永8年(1779年) - 文政7年8月10日1824年9月2日))は蘭学者、蘭方医。名は成徳、は直心、は齣谷、蘭馨、長淑。門弟に高野長英渡辺崋山小関三英足立長雋川本周篤鈴木春山湊長安
==生涯==

===経歴===
長淑は安永8年(1779年)江戸で生まれた。父は幕臣馬場兵右衛門。のちに母方の親戚、吉田家に養子に出されその跡を継いだ。医学を志して漢方医土岐長元の門を叩くが飽き足らず、幕府江戸医学館で蘭方医桂川甫周(4代目)、芝蘭堂四天王筆頭宇田川玄真私塾風雲堂蘭学を学ぶ。
文化5年(1808年加賀藩11代藩主前田治脩が江戸藩邸で病に倒れると、師の宇田川玄真が治療に功をなし、加賀藩からの招聘を受けたがこれを固辞、代わりに推薦されたのが風雲堂の高弟藤井方亭と長淑であった。長淑は以後加賀藩の庇護を受けることになった。
主に西洋内科の医学書を翻訳し、内科の発展に寄与しながら私塾蘭馨堂を開いて後進の指導にもあたった。文政7年(1824年)7月、庇護を受けていた加賀藩主前田治脩が病に伏し、大恩に報いるは今と急行軍で駆けつけるも、旅の無理がたたり長淑自身も旅路の途上で倒れ加賀に辿り着いた時には藩主治脩は亡くなっていた。失意の中あくる月の文政7年(1824年)8月10日死去。享年47。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田長淑」の詳細全文を読む




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