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吉良 州司(きら しゅうじ、1958年3月16日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(4期)。 外務副大臣(野田第3次改造内閣)、外務大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長等を務めた。 == 来歴 == 大分県玖珠郡玖珠町生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、日商岩井(現双日)に入社。在職中、ブラジルのジュイス・デ・フォーラ連邦大学に留学する。その後ニューヨーク本社インフラ・プロジェクト部長を経て、2002年に退職。日商岩井在職中の1989年から1991年には大分県に出向し、企画総室地域振興課、農政部流通園芸課、商工労働観光部産業振興課での業務を経験した。 2003年4月、6期24年にわたり大分県知事を務めた平松守彦の引退に伴う大分県知事選挙に無所属で出馬。平松の事実上の後継者であった広瀬勝貞を猛追し、有効投票数の44.8%にあたる295,886票を獲得したが、広瀬に2万6千票及ばず、惜敗した。同年11月、第43回衆議院議員総選挙に大分1区から無所属で出馬し、自由民主党の衛藤晟一を破り初当選(衛藤も比例復活)。なお民主党は吉良を推薦していたが、吉良、衛藤は共に思想的に保守色が強く、日本社会党の元内閣総理大臣・村山富市の地盤でもある大分1区での保守同士の対決は従来の大分1区の選挙の構図を一変させた(社会党の後継政党である社会民主党は候補を擁立せず、日本共産党候補は惨敗)。当選後、院内会派「民主党・無所属クラブ」を経て2004年11月に民主党に入党し、党大分県第1区総支部長、大分県連特別代表に就任した。 2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では吉良の他、郵政民営化法案に反対票を投じたため自民党の公認を得られなかった衛藤、自民党の公認を受けた佐藤錬らが出馬し、自民票の分裂も相俟って吉良が再選した(次点の衛藤は落選、3位の佐藤は比例復活)。 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、1期限りで引退する佐藤に代わり、元ジョイフル社長の穴見陽一が自民党公認で大分1区から出馬したが、民主党の公認に加え、連合大分の推薦も受けた吉良が穴見を大差で下し、3選した。選挙後に発足した鳩山由紀夫内閣で外務大臣政務官に任命され、菅内閣まで務める。 2012年、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長に就任。同年10月、野田第3次改造内閣で外務副大臣に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では大分1区から民主党公認で出馬したが、自民党公認で再び出馬した穴見陽一に10,258票差で敗れる。惜敗率は87.9%で、名簿順位1位の重複立候補者中惜敗率3位の高木義明に0.7ポイント及ばず、比例九州ブロックでも次点で落選した。吉良の落選により、民主党は大分1区において、村山が引退した第42回衆議院議員総選挙以来4期連続で守っていた議席を失った。 2014年12月、第47回衆議院議員総選挙に民主党公認で出馬。大分1区で前回敗れた自民党前職の穴見陽一を破って当選し、2年ぶりに国政に復帰した(穴見も比例復活)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉良州司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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