翻訳と辞書
Words near each other
・ 吉良経氏
・ 吉良義俊
・ 吉良義信
・ 吉良義元
・ 吉良義冬
・ 吉良義勝
・ 吉良義周
・ 吉良義堯
・ 吉良義央
・ 吉良義孚
吉良義安
・ 吉良義定
・ 吉良義尚
・ 吉良義尭
・ 吉良義弥
・ 吉良義昭
・ 吉良義真
・ 吉良義継
・ 吉良義藤
・ 吉良義郷


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

吉良義安 : ミニ英和和英辞書
吉良義安[きらよしやす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

吉良義安 : ウィキペディア日本語版
吉良義安[きらよしやす]

吉良 義安(きら よしやす)は、戦国時代三河国武将。2つに分かれた三河吉良氏のうち西条吉良氏の出身で、養子に迎えられて東条吉良氏の当主となり、のちに徳川家康に仕えて西条吉良氏の家督も併せた。
== 生涯 ==
天文5年(1536年)、西条城主吉良義堯の次男として生まれる。はじめ西条吉良氏の家督は兄の吉良義郷が継ぎ、次男の義安は東条城主(東条吉良氏)吉良持広の養子に入った。しかし兄義郷がまもなく死去したため、西条吉良氏に戻って兄の跡を継いだ。ところが、東条の吉良持広も死去したため、西条吉良氏は弟の吉良義昭に継がせ、自らは東条吉良氏の家督を相続した。
天文18年(1549年)、駿河の戦国大名今川義元が尾張の戦国大名織田信広を攻めた際、義安は織田家に協力したため今川軍に捕らえられ、人質として駿府へ送られた。この際、今川義元は西条吉良氏の義昭に東条吉良氏も継がせ、吉良氏を統一させて今川家配下に組み込んでいる。
義安は、以降10年余りを駿府で人質として暮らすことになったが、このときに同じく今川氏の人質となっていた松平竹千代(のちの徳川家康)と親しくなり、弘治元年(1555年)に家康が元服した際には理髪役も務めた。永禄3年(1560年)6月の桶狭間の戦いで今川義元が戦死したため、この際に家康とともに人質から解放されて三河に戻った〔この間の経緯について『寛政重修諸家譜』は、永禄4年(1561年)、今川氏真が義安の謀反を疑って駿河に抑留し、かわりに義昭を東条に移して両吉良氏を併せたとしている。〕。
一方、弟の吉良義昭は今川氏の後援を失って孤立し、徳川家康への屈従を余儀なくされていた。永禄5年(1562年)、義昭は再起を図って三河の一向宗門徒と結び、徳川氏と戦ったが(三河一向一揆)、敗れて三河から逃亡する。このあと、家康から義安が東条西条の吉良氏を統一して領有することが認められた。
義安のもとに統一された三河吉良氏は徳川家に仕え、吉良義央の代に赤穂事件で改易にされるまで続く。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉良義安」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.