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吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ、1920年4月3日 - 1977年11月26日)は、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)出身の元大相撲力士。第43代横綱。本名は池田 潤之輔(いけだ じゅんのすけ)。 == 来歴 == === 人違いからの入門 === 1920年4月3日に、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)で裕福だった網元の家に三男として生まれる。幼少期から身体が大きく、網元を営んでいたことから家族全員が怪力だったが、潤之輔少年は特に体格も大きく、力も強かった。やがて不漁が3年続いた末に家業が倒産してしまったことで、高等小学校卒業後は北海道製糖へ就職したが、学歴が無いことで技術を習得しようと一念発起し、単身で上京した。夜行列車で上野駅へ到着すると二人の若い力士が迎えに来ており、なぜか高島部屋へ連れて行かれた。部屋に到着してから人違いだったことが判明したことで力士から謝罪を受けたが、高島の妻から熱心に説得され、そのまま入門した〔その後、本来入門する予定だった新弟子は上京を中止している。〕。四股名は就職予定だった北海道製糖に因み、「北糖山」とした。 人違いから入門した異色の経緯でありながら、順調に出世していく。しかし、1938年に盲腸炎(虫垂炎の説もある)を患ったことで生命も危機に晒されたが、当時の名医・吉葉庄作による大手術で全快したことで、恩に報いるべく四股名を「吉葉山」に改名した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉葉山潤之輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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