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吉見頼興 : ウィキペディア日本語版
吉見頼興[よしみよりゆききょう]

吉見 頼興(よしみ よりおき)は、戦国時代武将周防国の戦国大名大内氏の家臣。吉見氏第9代当主。
信頼から家督を譲られて吉見氏の当主となるが、その直後、兄が大内山口事件を起こし成敗される。主君大内政弘応仁の乱で動揺する領国の安定を優先したため、吉見氏は所領の没収だけで済んだ〔山口大内事件の背後には主君大内政弘が存在したとする藤井崇の説もある(藤井崇「大内政弘の権力構造と周防・長門支配」『年報中世史研究』32号、2007年。改題・改稿「政弘期の分国支配」藤井『室町期大名権力論』同成社、2013年)。〕。また、益田氏も吉見氏に攻めるが、父である成頼の室町幕府への働きかけが成功して、将軍足利義尚が停戦命令〔文明14年12月17日付(室町幕府)奉行人奉書(「益田家文書」589号:『大日本古文書』22-3)〕を出したこともあり益田氏も撤退した。だが、この事件で吉見氏の威信は地に堕ち、以降頼興は信頼回復のために奔走する。
政弘の没後、大内義興に従い各地を転戦した。義興が足利義稙を擁して上洛するとこれに従い、船岡山の戦いで戦功を挙げている。こうした献身的な忠義で義興の信頼を勝ち取り、嫡男・頼隆の正室に義興の娘を迎え、また兄の凶行で没収された吉賀郷などの所領を再び与えられた。
享禄5年(1532年)4月12日に死去。享年73。長男の興成(おきなり)は早世していたため、家督は次男の隆頼が継いだ。五男の正頼は初め僧籍にあったが、隆頼の死後還俗してその跡を継いでいる。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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