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中村 博愛(なかむら ひろなり〔 / ひろやす〔『幕末維新大人名事典』下巻、216頁。〕、1844年2月17日(天保14年12月29日〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』333-337頁。〕) - 1902年(明治35年)10月30日〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』147頁。〕)は、幕末の薩摩藩士、明治期の外交官・官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・宗見〔、変名・吉野清左衛門〔『海を越えた日本人名事典』新訂増補、507頁。〕。 ==経歴== 薩摩藩士の家に生まれる。長崎の長崎養生所でオランダ軍医・アントニウス・ボードウィンから医学を学ぶ〔。帰藩し開成所で英学を学ぶ〔。薩摩藩第一次英国留学生に選ばれ、元治2年3月22日(1865年4月17日)吉野清左衛門と変名して鹿児島から密出国し、イギリスで化学を学ぶ〔。慶応2年1月(1866年)シャルル・ド・モンブラン伯爵の勧めで田中静洲と共にフランスへ留学〔。明治元年(1868年)帰国し藩の開成所でフランス語を教授した〔。 明治2年6月22日(1869年7月30日)西郷従道、山縣有朋の欧州視察に通弁官として随行を命ぜられ〔、明治3年8月(1870年)に帰国〔。同年11月5日(12月26日)兵部省出仕となる〔。以後、工部省出仕、製鉄助、製鉄権頭、製作権頭などを歴任〔。 1873年10月25日、外務省に転じ二等書記官・魯国公使館在勤となる〔。以後、マルセイユ領事、外務一等書記官・露国公使館在勤、イタリア公使館在勤、在イタリア臨時代理公使、外務大書記官、兼書記課長、兼統計委員、外務省会計主務、同会計局長、弁理公使・オランダ在勤、兼デンマーク公使を歴任し、1888年7月27日に帰国〔〔『新版 日本外交史辞典』665頁。〕。 1890年6月12日、元老院議官に就任〔。同年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔。1891年12月22日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2546号、明治24年12月23日。〕、死去するまで在任した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村博愛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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