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麻生鉱業(麻生炭鉱、のちの麻生商店・麻生産業、現麻生グループ, Aso Mining)は、麻生太賀吉が経営した鉱業会社。かつては麻生グループの根幹をなしていた企業である。 == 概要 == 1872年(明治5年)、筑前国嘉麻郡の庄屋であった麻生太吉が炭鉱業に乗り出したのが麻生鉱業の起源である。その後1918年(大正7年)に、事業を法人化し「株式会社麻生商店」を設立した。 1941年(昭和16年)に「麻生鉱業株式会社」に改称した〔当時ワイヤーロープなどは配給制であったが、「麻生商店」の社名が災いして、「ブローカーに配給の必要なし」と配給が差し止められた椿事があり、これを機に社名を変更することになった。〕。 戦時中、炭鉱業は重要産業であったため、各炭鉱には憲兵が配置されていた。戦後は労働組合が結成され、納屋制度の一部が改善していった。 1954年(昭和29年)、麻生家が経営する産業セメント鉄道と合併し「麻生産業株式会社」となった。しかし石炭産業の衰退により、炭鉱は次々と閉山に追い込まれた。そして1966年(昭和41年)に炭鉱労働者は全員解雇され、セメント部門は「麻生セメント株式会社」に分社化された。麻生産業も1969年(昭和44年)に廃業〔当時麻生産業は東証2部上場企業であった。(証券コード:1522)1969年当時の四季報によると麻生太郎が取締役を務めていた。〕し、以降は麻生セメントが麻生グループの中核企業となった。 現在の株式会社麻生は、麻生セメントが社名変更したものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「麻生鉱業」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Aso Mining forced labor controversy 」があります。 スポンサード リンク
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