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吉鷹 幸春(よしたか ゆきはる、1964年2月12日 -)は日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長169cm。得意技は背負投〔「ZOOM IN 素顔 吉鷹幸春」近代柔道 ベースボールマガジン社、1988年3月号〕、巴投。 現在は桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部の准教授で、柔道部の総監督も務めている〔幸春 〕。 == 来歴 == 香川県大川郡出身。世界選手権78kg級で4連覇を達成した藤猪省太の出身校である名門の大川中学に入学してから柔道を始めたこともあって、中学時代はレギュラーになれなかった〔。その後、寒川高校に進むと力を付けて、3年の時にはインターハイ中量級で優勝を飾るまでになった。筑波大学に進学すると、2年と3年の時に正力杯71kg級を連覇した。世界ジュニアでは3位にとどまった。4年の時には神戸で開催されたユニバーシアードの個人戦と団体戦で優勝を飾った。1986年には山形県教育委員会所属になると、講道館杯で優勝を果たした。アジア大会と世界学生では2位だった。その後は日体大の古賀稔彦の台頭により、国内の大会で2位や3位にとどまり続けることとなった。1988年のソウルオリンピック代表選考のかかった講道館杯と選抜体重別決勝でも古賀に敗れて、オリンピック出場はならなかった。その後も国内大会では何度も上位に顔を出すものの、優勝するまでには至らなかった。一方、国際大会では1986年と1989年にフランス国際、1990年にグッドウィルゲームズ、1992年にはドイツ国際など主要大会で何度も優勝を果たした。なお、古賀がソウルオリンピックで敗れたソ連のゲオルギ・テナーゼとは2度対戦して、2度とも一本勝ちを収めている〔「特集 第24回オリンピックソウル大会柔道競技(Part2)」近代柔道 ベースボールマガジン社、1988年11月号〕。引退後は男子ナショナルチームジュニアコーチを経て、ジュニア代表監督になるが、世界ジュニアでは金メダルをもたらすことが出来なかった〔- 財団法人全日本柔道連盟 〕〔「世界ジュニア柔道選手権」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年12月号〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉鷹幸春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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