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同人ショップ(どうじんショップ)は、同人誌や同人ゲーム(同人ソフト)などを販売(委託販売)する小売店。 == 歴史 == かつて同人サークルが商品を販売するには、有志によって開催される同人誌即売会に参加する以外に有効な手段はほとんどなかった。同人誌即売会は多くの同好の人々が集まり売りやすいものの、開催期間や施設が限られていることと、地方での開催は大きな需要に乏しく採算性はほとんど見込めなかったため、イベントの継続した開催は事実上不可能で、同人誌の販売もまた然りであった〔地方で開催する場合、会場の規模・提供の可否(成年向け同人誌を扱うイベントで提供できるか)や、都市部からの交通の便といった問題も発生する。〕。 また、継続的に開催されているイベントであっても、出展数が限定されていることと、会場が都市部にのみ集中しているため、地方の住民は気軽に参加できない。即売会の他には、一部のアニメ系情報誌、漫画雑誌、『テクノポリス』などのパソコンゲーム雑誌に設けられていた同人コーナーに掲載して宣伝してもらい、個人で通信販売を展開するという手段はあったが、発送の作業やトラブルの対応が大変であり、手間を考えれば到底費用対効果に見合うと言いがたいものであった。購入者側にとっても通販を申し込む場合、発行元に返信用の封筒と切手を添えた在庫確認の手紙を出さなければならず、販売者の側も1件1件個別に対応する必要があり、数が多いと膨大な作業量になった。このように、売り手と買い手の双方にとってなにかにつけて煩雑な時代であった。同人誌即売会の開催日に休みが取れないと買うこともできないうえ、人気のある商品はすぐに売り切れ、入手できないことも多々あった。 同人誌が肉筆画やガリ版で作られてた頃は即売会で全てが完結していたが、1970年代後半に入りオフセット印刷で刷られた同人誌が出て来ると即売会で捌ききれなかった同人誌を書店に頼んで置いてもらう事が出始めた。 同人誌を扱っていた古いショップとしては、同人情報誌を出版していた出版社のアンテナショップが上げられる。新宿西口にあった清彗社はフリー・スペースという名前のサロンを設置。そこの一角でまんが同人誌、中小出版社まんが単行本、各種チケットの展示販売を行うスペースを設けた。1980年(昭和55年)から1981年(昭和56年)にかけて、編集方針の内部対立などから清彗社は雑草社とふゅーじょんぷろだくとに分裂。ふゅーじょんぷろだくとは新宿駅東口に同人系書店兼サロンふりーすぺーす(ふりすぺ)をオープンさせて、雑草社は新宿大久保にCOMIC INNというショップをオープンした。また、雑草社は女性向けの漫画情報誌『ぱふ』を出版し、ふゅーじょんぷろだくとはマニア向けの漫画評論誌『Comic Box』を出版していた。 1980年代に入ると漫画を専門に扱う漫画専門店が続々とオープン。渋谷のまんが書店、神保町のコミック高岡では同人誌の扱いがあった。1984年(昭和59年)10月1日にオープンしたまんがの森新宿店は、3階で漫研資料、同人誌を取り扱っていた。 このように同人誌が小規模ながらも常設の棚で扱われることは漫画専門店が出現した頃から見られ、上記の他にも書泉ブックマート、新宿書店などの漫画の品揃えに強い書店の片隅で書店委託により小規模ながら取り扱われていた。同人誌は一般の商業出版の流通ルートに乗った出版物ではないため、同人誌を置いてる書店は都市部でもごく限られた書店にしかなかった。 同様に、1980年代後半から同人作品の販売委託請負による通信販売を取り扱っていた業者としてはLLパレス〔後に店舗を大阪・日本橋や、東京・渋谷などにも出店したが、当初は通販専業の業者であった。〕などが存在していた。しかし、インターネットの本格普及前はコスト面などの問題で大々的な宣伝が難しく、現在のような規模で同人作品の販売委託請負や通信販売を行うことができる企業や同人サークルは存在しなかった。このような状況下にあっても、同人作品の販売を主業として生活する者こそ存在したが、作家・クリエイターとしての抜群の知名度と同人誌の製作・販売意欲があれば誰もがそのようなことに挑戦できるという状況ではなかった。 1991年(平成3年)2月22日、東京都内の書店3店の店長ら5人が成年向け同人誌の販売で摘発される事件が発生。この事件以前の同人誌は無修正で、成年向けのコーナーを区切っての販売(ゾーニング)がされていなかったためで、これ以降、書店では男性向けの成年同人誌の取り扱いを自粛、成年向け同人誌は自主規制の中で修正されるようになり再び店頭で成年向け同人誌が売られるようになるまでには、しばらくの時間を要することとなった。 この事件は東京のみに留まらず全国の同人誌を扱っていた書店にも影響を与えた。書店に委託されていた男性向け同人誌の取り扱いを止めて店頭から一斉に消えた。一方女性向けのやおい同人誌は表現描写の関係からあまり問題とされず、この後も引き続き取り扱いが続けられた。そのため、現在でも女性向け同人誌のみ取り扱いがある書店、アニメショップが一部に存在する(アニメイトなど)。一般的な書店にとっては(たとえ成年向けのゾーニングがされていても)摘発の危険性がある成人向け同人誌が取り扱いにくいものになったことが、この後の同人ショップを生み出す余地を与えることとなった。 事件が契機となって生じた同人誌販売の空白を埋めるようにまず登場したのは、男性向けの海賊版同人誌で、全く関係のない複数の同人誌を適当にまとめてコピーし1冊にまとめたものが1500円から2000円前後で販売されていた。これは主に成年向けのアダルトショップ、古本店などで扱われていた。当然ながら作者には無断であったが、同人誌自体が二次創作である点で著作権的に弱い立場であったことと、同人誌摘発事件後の同人界全体に蔓延した事なかれ主義もあり、事実上打つ手が見い出せない状態が続いた。このような海賊版同人誌のピークは1994年(平成6年)から1995年(平成7年)にかけてのことである。海賊版同人誌は印刷物である同人誌そのものを複製・複写していたため、非常に質が悪かった。そのため、再び同人誌が市場に出回るようになるとこれらは自然に淘汰されていった。ただし地方では同人誌そのものが手に入りにくかったこともありその後も地味に出回っていた。 現在見られる同人ショップは、コミックマーケット(コミケット)のビッグサイト移転後も続く膨張、ひいてはこれも牽引役となって巨大化し続ける同人市場などを背景として、同人作品の販売者・購入者双方からの供給と需要の要望が増加し、またインターネットの本格的な普及により宣伝を簡便に行うことが可能になったことで、1990年代の半ば頃より本格化した商業形態の一つである。 この同人ショップがビジネスとして成立した影響は小さくない。現在の同人作品の流通システムが確立・拡大されたことにより、同人関連市場も巨大化した。これによって、同人誌で活動資金どころか自身やスタッフの生活費までをも稼ぎ出す、同人誌で職業的活動を専業的に行うビジネスモデルのノウハウが確立され、かつては特別なノウハウを持つ一部の者だけが行うことができた同人誌販売を主軸に据えた職業的創作活動を、今では様々なジャンルの多くの作家が行っている。現在、このような同人誌販売を主体とする作家の活動は、コミケットと同人ショップの存在無くしては成立し得ず、この両者が共に隆盛を続け、同人関連市場が活性化し続けることが絶対的に必要不可欠な要素となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「同人ショップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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