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DOWAホールディングス株式会社(どうわホールディングス、英社名:''DOWA Holdings Co., Ltd.'')は、非鉄金属の製錬、加工、環境・リサイクルを主たる業務とする〔DOWAホールディングス株式会社公式サイト「DOWAグループの事業」 〕DOWAグループの持株会社〔DOWAホールディングス株式会社公式サイト「DOWAホールディングス会社概要」 〕。旧社名同和鉱業。かつては「藤田組(ふじたぐみ)」と呼ばれて藤田財閥の中核企業であった。なお、かつて同じく「藤田組」と称していた準大手ゼネコンのフジタとは資本関係はない。 == 沿革 == * 1869年(明治2年) - 藤田伝三郎が兄2人とともに大阪で藤田伝三郎商社を設立。当初は軍需の調達を行っていた。 * 1879年(明治12年) - 藤田組贋札事件で藤田伝三郎が逮捕されるが、冤罪と判明して釈放される。 * 1880年(明治13年) - 愛媛県の市ノ川鉱山の経営に関与して鉱業に進出。 * 1881年(明治14年) - 藤田組に社名変更。 * 1884年(明治17年)9月 - 政府から小坂鉱山の払い下げを受ける。 * 1887年(明治20年) - 大倉組の大倉喜八郎と組んで土木事業進出。 * 1893年(明治26年)12月 - 合名会社に改組。同時に軍需・土木事業を大倉組に譲渡(土木事業は現在の大成建設のルーツとなる)。 * 1899年(明治32年)5月 - 本山彦一の元で児島湾干拓事業を開始(6年後に完成)、また同じ頃、久原房之助(創業に関与した伝三郎の次兄の息子)が鉱山事業の立て直しに成功する。 * 1905年(明治38年) - 共同経営者として名を連ねていた伝三郎の長兄の息子達が独立(次兄の子である久原房之助はその2年前に独立)したため、伝三郎の単独経営となる。 * 1911年(明治44年) - 大阪亜鉛鉱業を設立。 * 1915年(大正4年)4月 - 花岡鉱山を買収。 * 1916年(大正5年)9月 - 柵原鉱山を買収。 * 1917年(大正6年) - 藤田銀行を設立。鉱山部門を藤田鉱業株式会社として分離。 * 1928年(昭和3年) - 金融恐慌により藤田銀行破産。 * 1937年(昭和12年)3月 - 合名会社藤田組と藤田鉱業株式会社が合併し、株式会社藤田組を設立する。 * 1945年(昭和20年)12月 - 同和鉱業株式会社に社名変更。藤田鉱業株式会社を分離。 * 1955年(昭和30年) - 藤田興業株式会社(元、藤田鉱業株式会社)から藤田観光株式会社を分離。 * 1957年(昭和32年)9月 - 藤田興業株式会社を合併。 * 1990年(平成2年)1月 - 同和興産株式会社を合併。 * 1991年(平成3年)4月 - 東京熱処理工業株式会社を合併、サーモテック事業本部を設置。 * 2000年(平成12年)4月 - 社内カンパニー制を導入。 * 2006年(平成18年)10月 - DOWAホールディングス株式会社に社名変更、持株会社制に移行。事業会社DOWAメタルマイン、DOWAエコシステム、DOWAエレクトロニクス、DOWAメタルテック、DOWAサーモテックを設立。 ちなみに、かつての縁で藤田観光の株式の内31.24%を所持している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「DOWAホールディングス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dowa Holdings 」があります。 スポンサード リンク
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