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同楽里の戦い(日本語:ドンラクリのたたかい、どうがくりのたたかい、韓国語:同樂里戰鬪、)は、朝鮮戦争中の1950年7月に起きた大韓民国陸軍(以下韓国軍)及び朝鮮人民軍(以下人民軍)による戦闘。 == 経緯 == 7月4日、水原の陥落が迫った頃、人民軍の大縦隊が水原から東37キロの長湖院里に侵入し、別の大縦隊が水原から東37キロの利川に南下中との報告が入った。当時、水原と忠州との間に90キロの間隙が生じていた〔。そこで丁一権参謀総長は第6師団(師団長:金鐘五大領)と第8師団(師団長:李成佳大領)に平沢 – 陰城 – 忠州 – 堤川の線を防御するように命じた。 7月4日、第6師団長の金鐘五大領は忠州で整備中の第7連隊を陰城に派遣した〔。連隊長の林富澤中領は第2大隊(大隊長:金鍾洙少領)を同楽里に先遣し、連隊主力は陰城に進出させた。 この時、陰城北方に展開していた人民軍は第15師団(師団長:朴成哲少将)であった。第15師団は、第50連隊を予備にして、第49連隊を無極里に、第48連隊を同楽里に展開した〔。 同日夜、林富澤中領は人民軍の所在を把握するため、第2大隊を長湖院里に向けて北上させた〔。第2大隊は同楽里西に2キロの毛陶院付近で第48連隊を発見し、待ち伏せで撃退した〔。戦場には装甲車1両とトラック5両などが遺棄されていた〔。 7月5日、第7連隊は第3大隊(大隊長:李南浩少領)に毛陶里付近を、第1大隊(大隊長:金龍培少領)に陰城西側4キロにある所余里の油峴の峠を占領させ、第2大隊は予備として陰城に配備した。同日午後、第49連隊の一部が油峴正面に南下してきたが、第1大隊がこれを撃退した。 7月6日、第1大隊は無極里を占領したが、人民軍の反撃を受けて無極里南東の白也里に後退し、第3大隊も人民軍の強圧を受け290高地に後退した〔。ここで林富澤中領は第2大隊は同楽里南側の644高地に配備して中間地域の防御を強化した〔。同楽里に入った第48連隊は、住民から韓国軍が撤収したという情報を得たので移動陣形もとらず、警戒もまったくしなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「同楽里の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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