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名取 忠愛(なとり ちゅうあい〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』212頁。〕 / ただよし、慶応2年10月19日(1866年11月25日) - 昭和23年(1948年)8月21日)は、日本の政治家・実業家・名望家・歌人。貴族院議員、甲府市長(官選第10・12代)。号は楓園。 == 略歴 == 甲斐国甲府山田町(現在の山梨県甲府市中央)に、父「忠文」、母「かく」の長男として生まれる。 明治12年(1879年)4月に山梨県立師範学校予科に入学、明治14年(1881年)3月に退校し明倫舎で漢籍を修業、明治17年(1884年)9月に徽典館師範科に入学、明治20年(1887年)3月に卒業し甲府小学校訓導となり明治26年(1893年)10月に退職する。 明治43年(1910年)3月1日から大正5年(1916年)1月まで甲府市会議員を務め、大正5年(1916年)1月15日から大正8年(1919年)6月25日、大正11年(1922年)9月23日から大正12年(1923年)3月14日の2期に渡り、第10代及び第12代の甲府市長を務めている。また、多額納税者による互選により、昭和4年(1929年)8月31日〔『官報』第804号、昭和4年9月2日。〕から昭和16年(1941年)6月13日〔『官報』第4329号、昭和16年6月14日。〕まで貴族院議員を務めている。 実業面においては、甲府商業会議所会頭〔大正10年(1921年)4月2日から市長就任により退任した同11年(1922年)9月25日まで務めている。〕、第十銀行取締役〔大正9年(1920年)7月15日から同11年(1922年)9月18日(甲府市長就任により辞任)、大正13年(1924年)1月15日から昭和13年(1938年)11月30日〕、山梨貯蓄銀行頭取〔山梨貯蓄銀行は大正11年(1922年)1月4日に甲府市桜町に開業。同行の開業から甲府市長就任のために辞任した大正11年(1922年)9月までの初代頭取、大正12年(1923年)7月から同行が山梨中央銀行に合併した昭和18年(1943年)12月1日までの三代頭取を務めている。〕を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名取忠愛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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