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名古屋市消防局(なごやししょうぼうきょく)は、愛知県名古屋市の消防部局(消防本部)。 1947年(昭和22年)に定められた消防組織法によって、従来は警察任務の一部であった消防業務が市町村の任務とされたことから、法律施行日の1948年(昭和23年)3月7日に発足した。 == 歴史 == 万治の大火(1660年)ののち、尾張藩によって寛文年間(1661年 - 1672年)に設置された火消組合〔名古屋消防史、P.13〕〔住民によって編成され、火消奉行に従って消火活動を行なうもの。〕が長らく名古屋の防火を担ってきたが、これは明治時代に消防組と改称された〔名古屋消防史、P.30〕。1909年(明治42年)、名古屋市は翌年に控えた第10回関西府県連合共進会での防火・消防用に馬引き蒸気ポンプを購入〔名古屋消防史、pp.46 - 47〕。巡査2名をこの機関員として配置するとともに翌年1月には市内の消防組から10名を消防夫として割り当て、開催直前の3月には20名に増員した〔。共進会終了後、この装備と人員を引き継いで発足したのが名古屋市初の常設消防組織である名古屋市常備部消防隊で、詰所は当時の市役所内に置かれた〔。1919年(大正8年)には特設消防署規程が公布されたため〔名古屋消防史、P.57〕、消防隊を改組して同年7月に中消防署と南消防署、中消防署門前町出張所が設置され、合計54名が消防活動に従事するようになった〔名古屋消防史、P.58〕。以降、1939年(昭和14年)に市内4ヶ所となった消防署は1943年(昭和18年)12月には各区1ヶ所ずつの13ヶ所体制まで増備された〔名古屋消防史、pp.125 - 126〕。 1914年(大正3年)、ベンツ社製の消防ポンプ車を購入したのに始まり、以降ポンプ車や水管運搬用のオートバイなど車両の導入が進められた〔名古屋消防史、P.91〕。1916年(大正11年)にはフィアット製のはしご車(梯子長12メートル)が〔、1935年(昭和10年)には市内の高層化に対応するためダイムラー・ベンツ製のポンプ付き機械式はしご車(梯子長30メートル)が導入されて、後者は1968年(昭和43年)まで運用された〔名古屋消防史、P.95〕〔消防学校の教材となり、現在も保存されている 〕。また、1934年(昭和9年)には消防救護隊が発足して救急車による救護業務が行われるようになったが〔名古屋消防史、P.84〕、これは戦時体制への移行によってすべての救急車と合わせて1944年(昭和19年)9月に警察部警備隊へと移管されている〔名古屋消防史、P.86〕。 太平洋戦争終結後の1945年(昭和20年)10月1日、栄区の中区再編入(11月)に先駆けて橘消防署が廃止され、12消防署体制へ移行〔名古屋消防史、P.152〕。約2,000名の消防職員は約1,400名に削減された〔。 1947年(昭和22年)、消防組織法の公布に伴って名古屋市でも再編計画が進められ、1,366名の消防職員を更に750名まで削減した上で名古屋市消防部として発足することになった〔名古屋消防史、pp.176 - 177〕。しかし、発足直前の1948年(昭和23年)3月4日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)公安課主任消防行政官を務めるジョージ・ウィリアム・エンジェルが来名したことで事態は一変〔。エンジェルは名古屋市の規模などから職員の削減に反対するとともに「消防部ではなく消防局とすべき」との勧告を行なった。これによって3月6日に関係条例が公布され、3月7日に名古屋市消防局が発足した〔。 1949年(昭和24年)9月1日から救護業務を再開〔名古屋消防史、P.238〕。翌年1月には港消防署内に水上課を設置し、水上消防業務を開始した〔名古屋消防史、P.257〕。また、1973年(昭和48年)4月1日にはシュド・アビアシオン製アルウェットIIIを運用する消防航空隊を発足している〔名古屋消防史、pp.263 - 264〕。1997年3月に日産生命館高層ビル火災で17名を消防防災ヘリコプターとして初めて火災現場でホイストにより救助する〔名古屋市消防航空隊(消防防災博物館)〕。 平成になると1994年4月に中華航空140便墜落事故、2000年9月に東海豪雨〔(出典)名古屋市消防局防災部防災室『東海豪雨水害に関する記録』平成13年3月〕 、2003年9月に名古屋立てこもり放火事件、2011年9月平成23年台風第15号水害〔台風15号による被害状況及び消防機関の活動状況等について(第4報)(消防庁)〕など市内で大規模災害が発生し各機関と共に救助活動を行う。 1995年1月17日に阪神大震災が発生すると救助隊を派遣し神戸市西市民病院等で救助活動を行う〔阪神・淡路大震災 消防職員手記(消防局本部・消防機動隊)〕。同年10月に緊急消防援助隊が発足するといち早く登録して、翌年の1996年12月に東京消防庁の消防救助機動部隊と共に緊急消防援助隊の初出場として長野県小谷村蒲原沢土石流災害に救助隊員を派遣した〔平成17年版 消防白書(消防庁)〕。以降、緊急消防援助隊として2003年8月の三重県廃棄物固形燃料発電所火災、2004年7月の福井豪雨災害、2004年10月の平成16年台風第23号豊岡市水災害、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴う東日本大震災、2011年3月22日には福島第一原子力発電所事故、2014年9月の長野県御嶽山噴火災害に応援出場する。 さらに国際消防救助隊として1990年7月のフィリピン共和国地震災害、1993年12月のマレーシアビル倒壊災害、1997年9月のインドネシア森林火災、2008年5月の中華人民共和国四川大地震災害に特別消防隊(インドネシア森林火災には消防航空隊も含む)を派遣した〔国際消防救助隊物語(消防防災博物館)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名古屋市消防局」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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