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見晴台遺跡(みはらしだいいせき)は、愛知県名古屋市南区の笠寺公園内にある遺跡。 == 概要 == 笠寺台地の東縁(標高10〜15メートル)に位置している。最古で約2万年前の旧石器時代の石器が出土しているほか、縄文時代の物とされる土器片なども出土しているが、1940年(昭和16年)に銅鐸を模した「銅鐸形土製品」と呼ばれる土器片が出土したことからその名を知られるようになった。これは1937年(昭和12年)に名古屋市西区の西志賀貝塚に次いで日本で2例目として学会に報告された。隣接する桜田貝塚では1917年(大正6年)から翌年にかけて弥生時代の魚形土器が見つかっていたため、当時からこの地域の遺跡については考古学者の注目を集めていたという〔愛知県史跡等整備事例集、P.27〕。 戦後、公園整備計画が持ち上がり、それに伴い1964年(昭和39年)に調査が行われた結果、弥生時代に作られた東西約120メートル、南北約200メートル、幅・深さとも約4メートルの環濠に囲まれた集落跡が検出された。この集落自体は200年ほど続いたと考えられているが、朝日遺跡など名古屋市周辺の複数の環濠集落で環濠が埋められていくのに時期を合わせるように見晴台でも環濠が埋められており、この地域での勢力の統一が行われたことを示唆する説がある。 見晴台からは現在までに200軒以上の竪穴住居跡が重なりあった形で検出されているが、古墳時代の遺構はほとんど検出されていない。平安時代以降には集落が存在したほか笠寺観音の寺領となった時期などもあり、平安時代から室町時代にかけての陶器などが出土している。近代になってからは太平洋戦争時に高射砲6基が設置され、その内2基分の土台などが残されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「見晴台遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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