|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 名 : [な] 【名詞】 1. name 2. reputation ・ 名所 : [めいしょ] 【名詞】 1. famous place ・ 所 : [ところ, どころ] (suf) place ・ 図 : [ず] 1. (n,n-suf) figure (e.g., Fig 1) 2. drawing 3. picture 4. illustration ・ 図会 : [ずえ] (n) collection of pictures ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club
名所図会(めいしょずえ)は、江戸時代末期に刊行された江戸・畿内をはじめとして諸国の名所旧跡・景勝地の由緒来歴や各地の交通事情を記し、写実的な風景画を多数添えた通俗地誌。 == 概要 == 名所図会に先立つ類似物として名所記と呼ばれる刊行物があるが、名所記が文芸的・物語的な叙述に特徴があるのに対し、名所図会は事物の来歴などを客観的に記す点に特徴がある。名所記に比べて挿絵の比重が高く、浮画の影響もあってか鳥瞰図風の写生画をしばしば用いる。名所図会の挿絵は、地理的説明の機能を果たすだけでなく、鑑賞用途にも堪えるものである。また、編集においても、地域別・方面別の構成を取るなどの工夫が見られ、近世における巡礼の盛行による需要に応じて、名所案内としての実用性を備えている。 こうした名所図会の最初の例は安永9年(1780年)刊の秋里籬島著・竹原春朝画の『京名所図会』(6巻11冊)を嚆矢とされる。『京名所図会』は前述のような特徴を備えて、見て楽しむことに重きを置き、通俗に徹しながらも詩歌俳句の類をもとりいれて興味深いものとしたために、好評を博した。版元の吉野家為八は同じ著者・画家による名所図会を引き続き刊行し、それらも同じく成功を収めたことに刺激を受け、他の版元も名所図会の出版に乗り出した。 名所図会の刊行は寛政年間から文化年間初期にかけてと、天保年間以降の2つの時期にピークが見られ、これらふたつの時期の間の文化・文政年間には、江戸幕府の出版等政策の関係からか、再版が主となり新刊は少ない傾向が見られる。また、ほぼ同時期に流行した狂歌や、浮世絵(なかでも特に、葛飾北斎の『隅田川両岸一覧』や歌川広重『六十余州名所図会』といった風景画)、戯作者の手による名所案内記など、多くのジャンルとの間に相互に影響を及ぼしあったものと見られている。 刊行された名所図会は多彩であり、『東海道名所図会』『伊勢参宮名所図会』『二十四輩名所図会』などのほか、『唐土名勝図会』などというものや、地誌から離れた『日本山海名産図会』、『源平盛衰記図会』といったものまで作られるに至った。刊行は畿内以外でも行われ、なかでも『江戸名所図会』は天保年間に、斎藤長秋・莞斎・月岑の3代30年もの歳月をかけて刊行され、名所図会の中でも際立った内容を持つと評価されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名所図会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|