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名誉議員(めいよぎいん)は、国会および地方議会において、一定の功績のある議員に対し、贈呈される称号のこと。 == 国会の名誉議員 == 半世紀以上にわたって衆議院議員を務めた尾崎行雄(元司法大臣)と三木武夫(元内閣総理大臣)に対して「衆議院名誉議員」の称号が贈られている〔1953年(昭和28年)7月20日『官報』第7961号「国会事項」および1990年(平成2年)11月30日『官報』号外第518号「国会事項」ほか尾崎行雄については「「名誉議員」意見纏る 議運 理事会」『読売新聞』1953年7月13日朝刊1頁、「名誉議員の称号きょう衆院決定」『読売新聞』1953年7月17日夕刊1頁参照。〕。原健三郎、中曽根康弘、桜内義雄(桜内は衆参両院通算)も、同様に永年在職議員の特別表彰を受けた国会議員歴50年以上の有資格者であるが、財政難のため与野党の合意がとれず名誉議員の称号は棚上げとなっている(尾崎・三木の前例では名誉議員は国会内に胸像が建てられるため)。なお、このうち桜内は「父桜内幸雄の名前を書いた票は無効票とする」との判決が出て結果的に当選無効となった参議院議員としての在職期間を算入しなければ50年にならないが、公式に「国会議員在職50年」として表彰されたものである。 以上5人の中の在職50年到達時最年少記録は中曽根の78歳11ヶ月。また、三木以降の4人はいずれも与党議員で、野党議員として在職50年を迎えた国会議員は戦後では存在しない(尾崎の50年到達時は政党内閣ではなかったが、野党的な立場に立っていた)。 1990年代に総理を務めた海部俊樹および宮澤喜一は国会議員在職49年前後だったが(宮澤は衆参通算)、落選・勇退のため断念している(宮澤は既に逝去)。同様の例では初当選から現職で死去するまで50年10か月だったが落選1回による空白があって在職50年に届かなかった元通産大臣の山中貞則がいる。 他に益谷秀次(1920年初当選、1972年引退)、千葉三郎(1925年初当選、1976年引退)、赤城宗徳(1937年初当選、1990年引退)、二階堂進(1946年初当選、1996年引退)も初当選から50年後も国会議員だったが、落選など空白期間があったため在職50年に届かなかった。 参議院議員として在職50年を迎えた例は存在しない(桜内義雄は衆参通算50年だが50年到達時は衆議院議員)。大日本帝国憲法下の貴族院においては、閑院宮載仁親王が貴族院創設(1890年)から逝去(1945年)まで議員であったが、皇族議員、特に載仁親王のような現役軍人の皇族議員の活動実態は皆無で、記録上のものにとどまる。公侯爵議員等については50年以上在職の例はなく、西園寺公望と徳川家達が貴族院創設以来49年数か月在職で1940年に死去している。なお、閑院宮は在職50年到達時75歳であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名誉議員」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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