|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 名 : [な] 【名詞】 1. name 2. reputation ・ 二 : [に] 1. (num) two ・ 之 : [これ] (int,n) (uk) this ・ 助 : [すけ] (n) assistance
名越 二荒之助(なごし ふたらのすけ、1923年3月14日 - 2007年4月11日)は、日本の学者、評論家。保守派の論客。元高千穂商科大学教授。元イオンド大学非常勤講師。 == 人物 == 岡山県笠岡市出身。山口高等商業学校(現山口大学経済学部)在学中、学風刷新を掲げる日本学生協会に参画した。卒業後陸軍に入隊。新京陸軍経理学校在籍中にソ連対日参戦により新京から朝鮮半島北部へ転進(拡散した戦力を朝鮮国境通化に集中し、ソ連軍を迎撃するよう指令が出ていた)中、軍曹で終戦を迎えた。シベリア抑留となり、北朝鮮、モスクワ、ハバロフスク等で合計5年を過す。収容中に反ソ活動を行い懲役20年の刑を受けたこともある。 復員後は、岡山県で県立高校の社会科担当教諭・教頭を歴任。小田村寅二郎が設立した国民文化研究会〔日本学生協会は昭和17年頃から「早期講和」を求めて東条内閣打倒の闘いを開始し、弾圧を受けほぼ壊滅。戦後、国民文化研究会として再建された〕に初期の頃から関わり1956年以降青年夏合宿の講師を務める。1967年には、若者を引き連れ韓国を訪問し、張基栄副総理(当時)らと会見するなど日韓交流に尽力した。 1968年、家永教科書裁判の国側証人となる。1976年に高千穂商科大学助教授に就任、社会思想史を講ずる。のち教授。1981年、玉置和郎の要請を受け参議院予算委員会の参考人として教科書問題について問題提起。97年、大学を退職、台湾・東方工商専科大学(現・東方技術学院)の客員教授を務めた。 「スライド講演」の依頼が多く、全国を奔走する傍ら、台湾、韓国、パラオ等との友好交流活動を続け、また精力的に執筆活動も行った。2004年8月からは、日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)にレギュラー出演し、解説及び講師を務めた。バングラデシュやパラオなどの(日本と国旗の似ている、いわゆる“親日”国の)国旗を並べるパフォーマンスが知られていた。 2007年4月11日、癌による呼吸不全のため死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名越二荒之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|