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名越切通(なごえきりどおし)は、神奈川県鎌倉市南東部から逗子市に抜ける道である。鎌倉七口のひとつに数えられる。現在は付近をJR横須賀線と神奈川県道311号鎌倉葉山線がトンネルで通過しており、一般に交通路としては利用されていない。 == 概要 == 名越切通は、鎌倉と三浦半島を結ぶ要路のひとつであり、戸塚宿から鎌倉を経て浦賀へ続く浦賀道の一部でもあった。 切通を含む名越路(名越坂とも)は、より南側にある小坪路とともに、かつては鎌倉から三浦半島へ連絡する数少ない陸路であった。地域名ともなっている「名越」の名は、この道が峻険で「難越」(なこし)と呼ばれたことに由来すると言われる。 道として地名が登場するのは、「吾妻鏡」の天福元年(1233年)8月18日の条に「名越坂」とあるのが最初で、 すでにこの頃には主要な交通路であったことがうかがえ、後に七口に数えられる切通の中でも比較的早期に整備されたものと考えられる〔文化遺産オンライン「名越切通」 文化庁〕。 江戸時代に著された「新編鎌倉志」には、 とある。久野谷村は、現在の逗子市久木にあたる。 現在、鎌倉側から名越切通に向かうには、神奈川県道311号鎌倉葉山線(旧国道134号)がJR横須賀線をまたぐ名越踏切脇から、線路に沿った旧道に入る。旧道は鎌倉五名水のひとつ日蓮乞水前を経て、線路の北側に渡る。線路北側に沿うように山の斜面を登ると、横須賀線の名越トンネル入口の上辺りから山道に入る。山道に入るわずかに手前には庚申塔がある。 鎌倉側から入って間もなく比較的きつい上りがあり、これを登りきると、左右に平場がある。左の平場への小道は、そのまま「大切岸(おおきりぎし)」(後述)の上の尾根筋に続き、現在の丘陵上の住宅地「鎌倉逗子ハイランド(鎌倉市浄明寺六丁目、逗子市久木八丁目)」、衣張山方面に抜ける。『新編鎌倉志』の附図〔「新編鎌倉志二」、早稲田大学古典籍総合データベース 請求記号:ル04_04202_0002 、p03〕にも、切通の途中から、大切岸の南の御猿畠山、法性寺に至る道が記されており、この分かれ道はそれなりの昔から存在していたことが判る。 また、左側の平場に隣接して、尾根を削り取って作られた崖面に多数のやぐら(横穴式墳墓)が集積した「まんだら堂やぐら群」がある。やぐらのなかには名越切通の道に面して作られているものもあるが、それらは、普段は雑草や潅木に遮られており目立たない。 道はいくつかの小さな切通を経由しながら、逗子市小坪の谷戸の最奥部を巻くように進む。途中には、谷戸(京浜急行バス「緑ヶ丘」バス停付近)に下りる道もある。現在の逗子側出口は、切通し道に連なる尾根上が「亀が岡団地(逗子市小坪一丁目)」として開発されている。 逗子側出口近く、逗子市の資料〔国指定史跡 名越切通 (逗子市役所)〕では「第一切通」と呼ばれる切通しは、名越切通の道筋にある複数の切通しのなかでも最も大きく深い。これが『新編鎌倉志』に記された「大空峒(おおほうとう)」ではないかと言われているが確証はない。また『新編鎌倉志』には「左右ヨリ覆ヒタル岸二所」とあるが、実際には小規模な切通しは数箇所あり、どれが「小空峒(こほうとう)」にあたるかは定かではない。 「亀ヶ岡団地」の北側に沿って歩くと急坂を経て、切通し下の名越隧道ほかを抜けてきた神奈川県道311号鎌倉葉山線に出る。急坂下、県道の少し手前には再び庚申塔があり、この道筋が名越路の逗子側からの登り口であったことが判る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名越切通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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