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名鉄7000系電車(めいてつ7000けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1961年から2009年まで運用した電車である。 日本では初めて、運転台を2階に設置した上で最前部に展望席を設けた車両(展望車)で、「パノラマカー」という愛称がつけられ、1962年には鉄道友の会より第5回ブルーリボン賞受賞車両に選出された〔。改良を加えつつ1975年まで継続して増備され〔、合計116両が製造された〔。長期間にわたり名鉄を代表するシンボル的な車両として扱われ〔〔、一時期は名鉄では最多両数の形式となり〔、鉄道ファンからは「名鉄不朽の名車」〔「永遠の名車」〔ともいわれている。 本項では、本形式に準じた車両仕様で前面を貫通型として1973年に24両が製造された7700系と、本形式からの改造によって1984年に2両が登場した7100系についても記述する。また、名鉄の社内では5000系以降の高性能車について「SR車」と呼称している〔ことに倣い、本項でもそのように表記する。また、特定の編成について記す場合は、豊橋向きの先頭車の車両番号をもって編成呼称とする(例:豊橋向き先頭車の車両番号がモ7001の編成であれば「7001編成」)。 == 登場の経緯 == === 前史 === 1955年に名鉄の副社長に就任した〔土川元夫は、第二次世界大戦後、日本国外の交通調査資料などを熱心に読み、日本が主権を回復すると積極的に日本国外の鉄道の視察も行っていた〔。また、1953年から経営コンサルタントとして名鉄から依頼を受けていた荒木東一郎は、アメリカの交通事情を視察しており「鉄道は凋落し、自動車の時代になる」と予測していた〔。これを背景として、土川は「交通機関には寿命がある」という持論のもと、社員には「名鉄が鉄道としての魅力を失わない施策」「営業エリアの拡大につながる新しい乗り物」について社員に考えさせていた〔。 一方、1948年に名鉄に入社していた白井昭は、1952年から乗務員や検修担当者の教育を行う部署である名古屋鉄道教習所の教官として着任していた〔が、名鉄社内で行われていた「合理化委員会」の会議にも、出席できるものには積極的に出席していた〔。こうした白井の積極性を見て、土川は白井にも頻繁に声をかけるようになっていた〔。白井も「聞かれたことを答えるだけではつまらない」と考え、本来の業務とは異なるダイヤ改正などについて考え、土川に意見を伝えるようになっていた〔。 また、白井はアメリカの鉄道車両や航空機・自動車で興味深いと思ったものをノートに記録し、デザインを研究していた〔。ある時、白井と土川が車両の話をしていた時に、「前の景色が見える電車を作りたい」と話すと、土川は「それはいいな」とだけ答えたという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名鉄7000系電車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Meitetsu 7000 series 」があります。 スポンサード リンク
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