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名古屋鉄道トク3号電車(なごやてつどうトク3ごうでんしゃ)は、現・名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者である旧・名古屋鉄道が、貴賓車としての運用を前提に1927年(昭和2年)に1両導入した電車である。導入後間もない1927年(昭和2年)11月に、同社犬山線において日本国内の民営鉄道として初めてお召し列車が運行された際は、トク3が昭和天皇の御乗用車両に用いられた〔。 書類上の記号番号はトク3であるが〔〔、車体の車両番号表記は名古屋電気鉄道当時に新製された貴賓車トク1・トク2と同じく、一般的なアラビア数字の「3」ではなくローマ数字の「III」を用いてSC No.IIIと表記される〔〔。記号のSCは「儀装馬車」を意味する''"State Carriage"'' の頭文字を取ったもので〔、記号番号を「SC III」あるいは「SC3」と表記する資料も存在する〔〔。 導入後は前述したお召し列車運用のほか、華族や国賓など貴賓客の輸送や皇族の御乗用車両に用いられた。太平洋戦争勃発後は運用から離脱したのち1941年(昭和16年)に一旦除籍され、新川車庫にて保管された。終戦後、輸送力増強対策で1947年(昭和22年)に一般用車両への格下げ改造が施工されて復籍し、形式および記号番号をモ680形681と改めた。さらに1954年(昭和29年)に渥美線が名鉄から豊橋鉄道へ分割譲渡された際、同路線にて運用されていたモ681も豊橋鉄道へ譲渡された。形式および記号番号はそのままに豊橋鉄道籍へ編入されたモ681は、各種改造を経て1968年(昭和43年)まで運用された。 以下、本項においてはトク3の仕様および導入後の変遷のほか、トク3を用いて運行された日本国内の民営鉄道初のお召し列車の詳細についても記述する(→お召し列車運用)。 == 導入経緯 == 旧・名古屋鉄道の前身事業者である名古屋電気鉄道は、郊外路線である郡部線(後の名鉄津島線・一宮線などに相当)を開通させた直後の1913年(大正2年)1月に、4輪単車トク1 (SC I) ・トク2 (SC II) の2両の貴賓車を導入した〔。同2両のうちトク1は1920年(大正9年)6月の那古野車庫火災によって被災焼失し、旧・名古屋鉄道にはトク2のみが継承された〔。 その後、旧・名古屋鉄道は1926年(大正15年)9月27日付「特別客車新造使用願」にて、2軸ボギー構造の貴賓車1両の増備を申請した〔。新型貴賓車はトク3 (SC III) の記号番号が付与され、現車は1926年(大正15年)10月に名古屋電車製作所において落成していたとされる〔。しかし、設計認可にかかる手続きに時間を要し〔、翌1927年(昭和2年)3月31日付で設計認可され、同年4月15日付竣功届にて正式に竣功した〔。トク3の設計に際しては、取締役社長の上遠野富之助が欧米へ視察に訪れた際に現地にて目にした貴賓車の仕様が参考にされたものと伝わる〔。 大正末期から昭和初期にかけては、鉄道車両の構体が木造から鋼製に移行する過渡期に相当し、旧・名古屋鉄道においてもトク3と同時期の1927年(昭和2年)5月に導入されたデセホ700形が半鋼製車体を採用したにも関わらず〔、トク3は木造車体で設計・製造されている〔。また連結器についても、既に旧・名古屋鉄道において並形自動連結器が普及していた時期でありながらトク3は旧態依然とした連環式連結器仕様で落成しており〔、これらの点について元名鉄社員で鉄道研究家の清水武は''「どうして貴賓車が連環式連結器を採用し、木造車体で新造されたのか」'' と疑義を呈している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「名古屋鉄道トク3号電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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