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向野 堅一(こうの けんいち、1868年10月19日(慶応4年9月4日) - 1931年(昭和6年)9月17日)は、明治から昭和初期の実業家。日清戦争当時、軍事探偵として活動した。戦後、満州経済界で活躍した。 ==来歴== * 1868年(慶応4年) - 福岡県直方に生まれる 〔向野康江、直方に生まれたつよくやさしい日本人・向野堅一」『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学、芸術)』第59号(茨城大学、2010年)、23-35頁 来歴はすべてこの文献に拠った。著者の向野康江は向野堅一の曾孫にあたる。〕 * 1881年(明治14年) - 鞍手郡新入明善義塾入塾 * 1885年(明治18年) - 福岡の勉焉学舎入舎 * 1886年(明治19年) - 中学修猷館(現修猷館高校)入学 * 1890年(明治23年) - 卒業を目前に病気に掛かり退学、中国(当時清国)上海の日清貿易研究所に入学 * 1894年(明治27年) - 陸軍省通訳官。清国軍の動向を偵察する密偵となり、金州城に潜入、偵察に成功した。 * 1896年(明治29年) - 北京日本公使館御用達店「筑紫洋行」経営 * 1899年(明治32年) - 義和団事件勃発、「筑紫洋行」が焼き討ちにあう * 1904年(明治37年) - 関西で船舶会社を創立。 * 1906年(明治39年) - 奉天で商業に従事、茂林洋行と称し石炭販売を始める * 1908年(明治41年) - 瀋陽建物株式会社を設立。満州市場株式会社設立し、中央市場を開設。日支合弁正隆銀行を創立。 * 1917年(大正6年) - 奉天商業会議所副会頭。 * 1931年(昭和6年) - 脳血栓にて東京で永眠(享年64) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「向野堅一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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