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君島 清吉(きみじま せいきち〔、1889年(明治22年)4月16日〔『新編日本の歴代知事』902頁。〕 - 1966年(昭和41年)1月11日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』423頁。〕)は、日本の内務官僚。官選県知事。 ==経歴== 栃木県下都賀郡栃木町(現栃木市)出身。君島寅吉の長男として生まれる〔。第一高等学校を卒業。1917年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県工場監督官補となる。1919年10月、文官高等試験行政科試験に合格〔『新編日本の歴代知事』296頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』224頁。〕。 以後、奈良県警視、国勢院書記官、内務省社会局事務官、同書記官、同労働部労務課長、兼同部労政課長などを歴任〔。 1931年12月、茨城県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』250頁。〕。1932年6月、香川県知事に転任。県下の治安と県民の生活安定に尽力〔。1933年6月、宮崎県知事に転任。同年7月、置県五十周年記念式を挙行〔『新編日本の歴代知事』1091頁。〕。1935年1月、群馬県知事に転任。同年9月の大水害の復興に尽力〔。1937年7月、福島県知事に転任〔『新編日本の歴代知事』225頁。〕。1939年9月、前任中村安次郎知事の死去に伴い新潟県知事に就任。八か月の在任で1940年4月に知事を退任した〔『新編日本の歴代知事』413頁。〕。 1940年に退官〔し大日本産業報国会中央部総務局長となる。さらに、鉄道軌道統制会常務理事、東亜学院長、大起興業会社社長などを務めた〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「君島清吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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