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本項「吹奏楽の歴史」では、世界における吹奏楽の歴史について説明する。 『新版吹奏楽講座』によれば、吹奏楽とは、「管楽器と打楽器のみの合奏、すなわち弦のないオーケストラである」と規定される〔『新版吹奏楽講座1』(1983)〕。「吹奏楽」という日本語は、ドイツ語のブラスムジーク ''Blasmusik'' (''Blas''は「吹く」の意)からの訳語とも考えられており〔大崎(2004)〕、日本では一般に「ブラスバンド」''Brass band'' と称されることも多い。ただし、ブラスバンドは本来、真鍮(''brass'')を主素材とする金管楽器と打楽器によって編成される楽団という意味であり、厳密には吹奏楽のなかの一形態にすぎない〔〔『JBCバンドスタディ』(2005)p.89〕。このように、日本語の「ブラスバンド」「ブラバン」には混用がみられる一方で、「吹奏楽」には、それに相当する英語が存在しない〔。吹奏楽のなかには、狭義のブラスバンド(金管バンド)のほか、シンフォニック・バンド、コンサート・バンド、ウインド・アンサンブル、ウィンド・オーケストラ、マーチング・バンドなど多種多様な形態があり、その発達のあり方や歴史的変遷は、国や地域により異なる〔。 なお、上述の定義にしたがえば、日本の雅楽も篳篥(ひちりき)や笙(しょう)、横笛が中心となっており、催馬楽や管弦をのぞけば吹奏楽の一形態ととらえることが可能である〔三線以前の琉球王国の伝統音楽や中国の「鼓吹」も一種の吹奏楽である。長生(1999)p.10〕。しかし、ここでは一般に日本で「ブラスバンド」「ブラバン」と称せられる、洋楽のなかの一演奏形態ないし一ジャンルとしての吹奏楽について、その歴史的変遷を叙述する。 == 原始・古代 == 管楽器の歴史は古く、人類の歴史がはじまって以来、骨・角・石・草木・粘土などさまざまな素材を用いて製作されている〔管楽器の祖型は、オーストラリア大陸の先住民アボリジニが用いるディジュルドゥという楽器ではないかといわれる。これは、木をくりぬいて中を空洞にしたもので、叩けば打楽器、息やリードで鳴らせば木管楽器、唇を振るわせれば金管楽器的な演奏が可能になる汎用的な楽器である。『管楽器おもしろ雑学事典』(2007)p.25,p.34〕。「ホーレ・フェルスのヴィーナス」で知られるドイツのホーレ・フェルス洞窟からは、現在よりおよそ3万5,000年も前のオーリニャック文化期に属する象牙やハゲワシの骨でつくられた笛が見つかっている〔Schwäbische Alb:Älteste Flöte vom Hohle Fels(24.06.2009) (ドイツ語)〕。日本では縄文時代の遺跡から土笛が多数見つかっており、太鼓が存在していた可能性もある〔長野県長峰遺跡から出土した縄文時代中期の有孔鍔付土器は、太鼓を造形したものとみなす説があり、その説が正しいならば、シュメールの浮彫より古い、世界最古の太鼓の存在を示す考古遺物ということになる。小山(1996)pp.69-70〕。世界的にみれば、太鼓の起源はラトル(鳴子)とともに古く、古代メソポタミアでは紀元前2500年頃のシュメールのレリーフ(浮彫彫刻)に描かれており、打楽器の起源の古さを物語る〔藤田(2004)〕〔近畿地方を中心とする弥生時代の遺跡からしばしば出土する銅鐸は、「祭りのベル」であったと考えられている。銅鐸は、当初は打楽器として鳴り物としての役割が重視されたが、のちに装飾性が強まり、「見る銅鐸」へと変質していった。佐原(1987)pp.273-274〕。また、楔形文字で記録されたところによれば、この頃のメソポタミアでは既に五音階が存在したと考えられている。 古代エジプトでは、エジプト新王国の時代(紀元前16世紀-紀元前11世紀)の壁画にしばしばラッパの吹奏が描かれており、「黄金のマスク」で有名な紀元前14世紀の王(ファラオ)、ツタンカーメンの墓からは直管型のラッパが出土している〔1922年に発見されたもので、金属加工の施された管楽器の実物としては世界最古の遺物である。Web楽器事典Vol.1 「ツタンカーメンのトランペット」 〕。新王国時代の壁画に描かれたエジプトには、管楽器として今日のフルート、クラリネット、トランペットに相当する楽器、弦楽器にはハープやリュートなど、打楽器には拍子木やカスタネット状のもの、シストルム(シンバル)、がらがら(ラトル)、太鼓、タンバリンに相当するものなどがあった〔〔吉村(2001)pp.156-157〕。このような管楽器は信号または儀式での音響効果をにない、軍隊でも使用されたと考えられている〔〔『JBCバンドスタディ』(2005)p.88〕。また、古代イスラエルのダビデやソロモンの宮廷では、イスラエル音楽が栄え、太鼓やシンバルによる舞踏がなされた。なお、イスラエル王国の時代には、人びとはラッパやショファーと呼ばれた角笛、オーボエに似たハリルなどの楽器を用いて音楽を楽しんでいたことが知られている〔。 古代ローマにおいても、大きな行事や重要な儀式の場では、トゥーバ ''Tuba''、ブッキーナ ''Buccina''、コルヌ ''Cornu'' 〔 「コルヌ」 〕 など、現在の金管楽器の前身となるような様々なラッパがつくられて軍楽がなされた〔。共和政ローマの時代の音楽はギリシャや東方に影響をあたえたといわれ〔、ガイウス・ユリウス・カエサルの著述した『ガリア戦記』にも、カエサル自身、合戦の際にラッパを吹かせていたことを記録している。また、アウグストゥスより始まったローマ帝国の軍楽隊も、管楽器と打楽器によって編成されていた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吹奏楽の歴史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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