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吹田ジャンクション(すいたジャンクション)は、大阪府吹田市と一部茨木市の飛地にある名神高速道路と中国自動車道と近畿自動車道のジャンクションである。ここでは、併設されている吹田インターチェンジについてもまとめて記す。 == 概要 == 交差する高速自動車国道によって、名古屋、神戸、和歌山、北九州市をつなぐ東西の動脈を担う。 吹田ICは名神高速道路全線開通時には構想すらなかったが、大阪万博の開催が決定した際に同会場への玄関口の役割を果たすインターチェンジが必要と判断され急遽開設が決まった〔大阪万博の開催が決まったのは1965年9月14日であり、名神高速はこの2ヶ月前に既に全線開通していた。〕〔『高速道路と自動車』1970年1月号〕。このように後付けのJCT/ICであるにもかかわらずIC番号(35)に枝番が付いていないのは、名神高速道路の開通当初は終点である西宮ICから順に小牧ICまでIC番号が振られており、これらのIC番号が現在の東名高速道路東京ICからの通しに変更される前に当ICの開設が決定したためである。また、当IC開通後も暫くは中国自動車道との直結(吹田JCT)構想はなかったが、吹田IC・一般国道・中国吹田ICを介しての名神高速道路と中国自動車道との往来はあまりに非効率で、1970年代の急激な交通量の増加とともに天王山トンネルから吹田IC付近まで続く渋滞の深刻化に更なる拍車をかけていた。この状況下で、中国自動車道が全線開通して関門橋・九州自動車道とも接続となると吹田IC付近の渋滞が更に深刻化するのは確実であったため、早急に名神高速道路と中国自動車道の本線を直結ランプで繋ぐ必要性(吹田JCT構想)が唱えられるようになった。 これにより当時の中国吹田IC料金所の中央部分を廃止・解体して当ICの京都寄りの部分から中国自動車道本線まで直結ランプが建設され、中国自動車道の全線開通4年前である1979年5月15日に供用開始された。尚、吹田での強制的な一般国道への出場の必要性が無くなった事により、東名東京ICから三次IC(吹田JCT開通時の中国道(吹田側)の終点)までの通行料金(1979年当時)も9,100円から500円安い8,600円で済むようになった〔毎日新聞東京版(1979年5月15日付朝刊)〕。その後、近畿自動車道の渋滞の深刻化に伴い、1994年には中国道と近畿道の出入口間に敷かれていた一般国道を中国道と近畿道の直結ランプに切り替えた上で料金所を新設し、吹田JCTの大幅な改築工事を行った。 ジャンクションの構造上、現在も名神高速道路西宮方面と中国自動車道は吹田JCTでは接続されていない〔大阪市内・豊中・尼崎・西宮地区と兵庫県以西との往来は中国自動車道の中国池田ICや宝塚ICから出入りした方が所要時間・距離共に短く通行料金も安いため、通行止など非常事態時は例外としてわざわざ東側の吹田JCTから迂回経由して名神高速道路と往来する必要性が少ないため。〕。この場合は吹田IC料金所を通過し「一旦」高速道路を下り、少しだけ大阪府道2号大阪中央環状線を経由して中国吹田IC料金所から入り直す二度手間を踏むことになる(逆ルートも同様)。 近畿自動車道の通行料金が均一制(前払い)のため、名神高速道路・中国自動車道と近畿自動車道との相互は料金所を経由し、吹田までの通行料金と近畿自動車道の通行料金を一括精算する(名神・中国道→近畿道の場合。逆の場合は近畿道の通行料金は精算済みなので通行券を受け取るのみ)。 なお、インターチェンジの料金所の高速道路通行券は「中国吹田」との誤認を防ぐため「名神吹田」と印字されている。 近畿道の領収書は「吹田本線料金所」である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吹田ジャンクション」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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