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吾妻猛夫 : ミニ英和和英辞書
吾妻猛夫[あづま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego
: [つま]
 【名詞】 1. (hum) wife 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

吾妻猛夫 ( リダイレクト:海江田譲二 ) : ウィキペディア日本語版
海江田譲二[かいえだ じょうじ]

海江田 譲二(かいえだ じょうじ、1908年3月1日 - 1986年4月11日〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「海江田譲二」の項。〕)は、日本の俳優である。本名は上遠野 武史(かどの たけし)である〔〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.136。〕〔#外部リンク、「海江田譲二」、キネマ旬報、2009年11月10日閲覧。〕。
== 人物・来歴 ==
1908年(明治41年)3月1日秋田県北秋田郡大館町(現在の同県大館市)に「上遠野武史」として生まれる〔〔〔。
1930年(昭和5年)、同郷の映画監督・辻吉朗を頼って京都に移り、辻の所属する日活太秦撮影所に入社する〔。同年、辻監督による主演作『股旅しぐれ』で映画界にデビュー〔#外部リンク、「海江田譲二」、日本映画データベース、2009年11月10日閲覧。〕、つづいて大河内傳次郎が出演予定だった同監督の『大虚』の主演に急遽抜擢され、スターの道を歩み始める〔。1931年(昭和6年)、稲垣浩監督の『男達ばやり』で片岡千恵蔵と共演、翌1932年(昭和7年)には、辻監督の『沓掛時次郎』で主演する〔。
1933年(昭和8年)、荒井良平監督による主演作『新蔵兄弟』を最後に日活太秦を去り〔、東京に移り、日本映画多摩川撮影所志波西果監督の『旅合羽だんだら染』に主演した後、東京・巣鴨の河合映画製作社に移籍する〔。同社でもスターとして迎えられ、入社第1作は中島宝三監督の『天蓋浪々記』であった〔。同年、河合が大都映画に改組されて移籍、海江田譲二プロダクションを興し、中島宝三を監督に主演作『江戸剣飛脚』を製作し、大都映画が配給した〔。1936年(昭和11年)には、石山稔監督による主演作『水戸浪士』を最後に大都映画を退社、ふたたび海江田譲二プロダクションで極東映画小倉八郎を監督に、主演作『檜山大騒動』を製作、1937年(昭和12年)、極東映画が配給した〔〔。
同年、京都に戻り、今井理輔今井映画製作所に入社した〔。入社第1作は児井英男(のちの児井英生)監督による主演作『青葉城異変』であった〔。翌1938年(昭和13年)には同社は瓦解するので、後藤昌信監督の『両国剣囃子』を最後に東宝映画京都撮影所に移籍、3作に出演した後、松竹下加茂撮影所に移籍した〔。移籍第1作は、二川文太郎監督の『鬼面三日月党』であった〔。同社には第二次世界大戦中まで在籍し、溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』前篇・後篇で堀部安兵衛を演じている〔。
戦後は、1950年(昭和25年)、佐伯清監督の嵐寛寿郎主演作『大利根の夜霧』に出演して復帰している〔。京都作品を中心に多くの作品に出演した〔〔。
1986年(昭和61年)4月11日、死去した〔。満78歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「海江田譲二」の詳細全文を読む




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