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吾妻連峰雪山遭難事故(あづまれんぽうゆきやまそうなんじこ)とは、1994年(平成6年)2月13日早朝から翌日にかけて吾妻連峰が猛吹雪に見舞われ、登山者5名が低体温症で死亡した事故。吾妻連峰での山岳遭難事故としては最悪の事故となった〔NHKスペシャル「そして5人は帰らなかった~吾妻連峰・雪山遭難を辿る」(1994年5月8日放送)〕。 == 経過 == パーティーは40代から60代の男性2人と女性5人。リーダーは登山歴30年で山岳ガイド資格もある新聞社勤務の男性。リーダーは同じルートを以前に経験しており、メンバー全てに登山経験があった〔。三連休を利用して山スキーで吾妻連峰を縦走して、滑川温泉に到着するルートだった。 * 2月11日(祝日) - 東京駅より新幹線で出発する〔急行が満席だったため各駅停車の便に乗ったことで時間をロスした〕。福島駅でタクシーを呼ぼうとしたが、スキーが積めなかったためマイクロバスをチャーター、道路凍結のため運転手の勧めた吾妻高湯スキー場〔当時は強風のため4つのうち2つのゴンドラが停止しており、坂道をスキーで上って登山口へ向かった。しかし、登山者カードの提出場所がある4本目のゴンドラが止まっていたため通過しており、捜索にあたって彼らの存在が判明するのに時間を要することとなった〕を経由して家形山避難小屋〔囲炉裏があるだけの遭難用の避難場所であり、宿泊施設ではない。この避難小屋の手前には宿泊施設のある山小屋・慶応吾妻山荘があったが、リーダーが思い出のある避難小屋にこだわったことなどもあり通過している〕に到着(ここまでに多くの時間をロスしていた)。小屋で宴会をして一夜を明かす。この日の夜、慶応吾妻山荘では中国大陸からの雨雲を伴った強い低気圧の接近に伴い、管理人が宿泊客全員に翌日の下山を進言している。 * 2月12日(土) - 朝8時30分に出発。正午に白浜尾根に到着。この時点では擬似好天〔低気圧と寒気の間の一時的な晴天のこと。この時東京は大雪だった〕だったが午後から急変。霧の平をめざすが分岐点の杭が見つからないまま〔1か月後の調査では充分視認できたことが判明しており、見つけられなかったのは極度の視界の悪化や疲労による距離感覚の麻痺が原因とされる〕彷徨。この間スキー板のクライミングスキン(シール)が剥がれるメンバーが続出したことも災いし、白浜から霧の平まで予定一時間の行程に6時間以上さまよい、夜になり、ビバークする。この時点ではまだ余裕があり、メンバーはビバークしたことを家族や友人に内緒にしようと冗談まじりに話していた。しかし天候はますます悪化し、夜はマイナス10度以下まで冷え込む。 * 2月13日(日) - 猛吹雪となったが、翌日の出勤を考え下山を強行。家形山避難小屋まで移動しようとしたが、白浜で暴風のため低体温症で動けなくなるメンバーが出る。寝袋に入れて引っ張ろうとしたが暴風のため途中で断念し、パーティー全員がその場にとどまり、スコップがなかったため食器などで雪洞を掘り〔だが吹きさらしの雪は堅かったため、雪洞掘りに2時間以上を要し、さらに体力を消耗する結果となった〕、夜を迎える(この時さらに二人の意識が薄れていた)。この時、リーダーが疲労のためか変調をきたしていたのを生還した男性が目撃している。 * 2月14日(月) - 強い西風が吹き続く。朝の時点で低体温症からリーダーを含む4人が意識不明か死亡。意識のあった3人(男性一人と女性2名)は下山を決意するが、うち女性一人が力尽きたため男女2人で9時に白浜を離れ、雪崩の危険がある西側を下りていくが力尽き、結局ビバークする。一方、リーダーの山仲間が福島県警察本部に捜索願とともに覚えていた6人の情報を通報したが、ルートの詳細が不明のままだったため当初警察は動けず、他の登山者たちの目撃情報を元に6人の情報を割出し、捜索の準備に入る。地元のラジオ福島でも呼びかけが行われたが彼らはラジオを持っていなかった。その後、夜に一人の家族が警察に捜索願を出したことから、ようやく7人全員の身元が判明。 * 2月15日(火) - 前日とは一転して晴れ間が広がっていた。13時過ぎ、2人はひどい凍傷になりながらも自力で滑川温泉にたどりついた。彼らの通報による捜索の結果、15時過ぎに白浜で5人の遺体が発見された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吾妻連峰雪山遭難事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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