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呉学謙(ご がくけん)は中華人民共和国の政治家、外交官。副総理、外交部長などを務めた。 == 経歴 == 曁南大学外文学部中退。1939年、中国共産党に入党。中華人民共和国成立以前は、上海で喬石、銭其琛、薛駒(中央党校副校長)、銭李仁、朱良(ともに中央連絡部部長)、徐維誠(中央宣伝部副部長)らと学生運動を指導していた。 1949年から新民主主義青年団(現在の中国共産主義青年団)中央国際連絡部副部長、部長。1958年、党中央対外連絡部局長。文化大革命で失脚して外交部五七幹部学校に下放されたが1974年に同職で復活。1978年外交部副部長、1982年4月外交部第一副部長に任じられる。同年8月、日本の歴史教科書の「侵略/進出」という記述をめぐる歴史教科書問題に関連して、日本の鹿取泰衛駐中大使と会見し歴史教科書の「歪曲」を見直すよう日本政府に要求した。同年11月外交部長(外相)に就任する。1983年6月国務委員を兼任。1988年、外相を辞任し外交担当の副総理に昇格。1990年11月、中国政府代表として今上天皇即位の礼に出席。1993年全国政治協商会議(全国政協)副主席、国際交流協会会長。1998年3月政協副主席を退任し引退。 中国共産党内では、1985年から1992年まで第12期と第13期党中央委員を務めた。12期五中全会で政治局委員に昇格し、第13期でも中央政治局委員だった。 2008年4月4日、病気のため北京にて死去。満。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉学謙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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