|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 呉 : [ご] 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city ・ 市営 : [しえい] 【名詞】 1. municipal management ・ 二 : [に] 1. (num) two ・ 河 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 球 : [たま, きゅう] 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball ・ 球場 : [きゅうじょう] 【名詞】 1. baseball stadium ・ 場 : [ば] 【名詞】 1. place 2. field (physics)
呉市二河野球場(くれし・にこうやきゅうじょう)は、広島県呉市の二河公園内にある野球場。施設は呉市が所有し、呉市体育振興財団が指定管理者として運営管理を行っている。 ==歴史== 1951年に竣工。1993年に全面改修された。 収容人数は、内野9900人、外野5100人である。 6基の夜間照明柱を完備しており、ナイターを行うことができ、1993年から2002年までは広島東洋カープのオープン戦と公式戦が各1試合程度開催されていた。公式戦は1999年以降行われていなかったものの、2007年8月21日に広島対横浜戦が8年ぶりに開催された。以降は築40年弱と老朽化の進む福山市民球場に代わりカープ主催ゲームが多く行われている。 1954年に結成された新日本リーグでは、広島グリーンズ(広島カープ2軍)の本拠地であった。 瀬戸内海の温暖な地域にあるため、過去にはプロ野球のキャンプが張られた。鶴岡一人はこの近所の育ちで、それが理由からか南海ホークスが長くキャンプを張った〔呉紀行 - 島村俊治(コラム) 〕。西鉄ライオンズも1953年にここでキャンプを行った〔ヒストリー | ライオンズ・クラシック 2011 | 埼玉西武ライオンズ 〕。カープも日南の前、1960年代の初めにはここでキャンプを張り、日南キャンプが始まってからも、二軍はここでキャンプを張っている。大野豊の入団テストが行われたのもここである〔情報・分析・決断:プロ野球・ドラフト50年/2 問われるスカウトの目 毎日新聞 2015年10月15日 〕。 南海は鶴岡の監督退任後、高知県幡多郡大方町(現:黒潮町)や和歌山県田辺市でキャンプを行っていた。1981年に監督に就任したドン・ブレイザーが呉キャンプを復活させ、1986年に南海最後の監督に就任し、鶴岡を師と仰ぐ杉浦忠の時代まで続いたが〔杉浦忠『僕の愛した野球』海鳥社、1995年、249-250頁。〕、ダイエーへの売却後は、直後の1988年秋季キャンプが最初で最後となった。 杉浦監督時代には、当時文化人だった仲良しの長嶋茂雄が杉浦の激励に小型飛行機をチャーターして派手に当地を訪れた〔。 また1990年代、大韓民国の太平洋ドルフィンズ、サンバンウル・レイダースのキャンプが行われたことがある。他にも近畿大学が1996年から春合宿を張るなど、大学野球のキャンプでも使用されることがある。 鶴岡の他、浜崎真二、藤村富美男、広岡達朗など呉出身の著名選手は皆、この球場近くの出身である。 *プロ試合開催日はこれまでのところ他の多くの地方球場と同様平日ナイターのみである(オープン戦を除く)。 *2007年以降は殆どの年で公式戦が行われており、日程に組み込まれなかったのは2011年、2015年のみ。 *2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響でプロ野球開催が延期した事により、広島東洋カープはマツダスタジアムを使用できない(他球団に練習で貸出等)日は、二河球場で練習していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉市二河野球場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|