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呉文聡 : ミニ英和和英辞書
呉文聡[ご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 

呉文聡 ( リダイレクト:呉文聰 ) : ウィキペディア日本語版
呉文聰[くれ あやとし]

呉 文聡(くれ あやとし/ふみあき、嘉永4年11月27日1851年12月19日) - 大正7年(1918年9月19日)は、日本統計学者慶應義塾大学教授。「国勢調査の生みの親」といわれる。
== 人物 ==
広島藩医呉黄石の次男として江戸青山(現在の東京都港区)に生まれた。母せきは箕作阮甫の長女〔「学問の歩きオロジー わが故郷の偉人たち (3) - 現代につながる巨星たちの系譜」、102頁。〕。精神科医呉秀三は弟〔『人事興信録 初版』687頁。〕〔『人事興信録 第2版』甲810頁。〕。元治2年(1865年)に鉄砲洲慶應義塾に入学し卒業。
明治8年(1875年)に太政官正院政表課(のちの内閣統計局審査官)に入り、国勢調査日本で行われていなかった頃から欧米のような国勢調査を実施しなければならないと主張したことで知られている。国勢調査は呉や杉亨二内藤守三らの尽力により明治38年(1905年)から実施予定であったが、日露戦争により延期され大正9年(1920年)に第1回の調査が行われ、以後今日まで続く。「東京統計協会」を創設し、雑誌『経済及統計』を創刊。ほか、内務省衛生局、駅逓局、農商務省などで統計整備に指導的役割を果たす。明治32年(1899年)から慶應義塾大学教授(統計学担当)。
妻・やすとの間に6男3女をもうけた。長男・医学者〔〔〔、四男・文炳経済学者〔〔〔、歌手高英男は妻の甥。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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