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呉淞笙 : ミニ英和和英辞書
呉淞笙[ご しょうしょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for 
: [しょう]
 【名詞】 1. traditional Japanese wind instrument resembling panpipes 2. free-reed instrument used in Japanese court music

呉淞笙 : ウィキペディア日本語版
呉淞笙[ご しょうしょう]

呉 淞笙(ご しょうしょう、1945年4月4日 - 2007年12月23日)は、中国オーストラリア囲碁棋士福建省生れ、中国囲棋協会などに所属、九段。一時韓国棋院台湾棋院客員棋士。陳祖徳らとともに中国最初の九段として活躍。
== 経歴 ==
福建省菁田に生れ、上海で育ち、林勉に碁を学ぶ。1959年に上海囲棋集中訓練隊入り。劉棣懐、魏海鴻、汪振雄らに指導を受ける。1961年に国家囲棋集中訓練隊入り。1962年に全国囲棋個人戦に出場、3位となる。1964年の中国囲棋協会段位制開始時に、過惕生、劉棣懐、陳祖徳とともに最高段の五段となる。64、66年の全国個人戦では陳祖徳に次いで2位。それまでの「南劉北過」に代わって、「陳呉時代」とも呼ばれた。日中囲碁交流では、1963年訪中団の宮本直殻に定先で勝ち、64年訪日団に参加し4勝5敗、65年の訪日では4勝3敗、66年訪日では2勝3敗などの成績を収める。文化大革命後の1974年訪日では6勝1敗。1978年には牛之浜撮雄との三番碁に勝利。1982年に九段を贈られる。1983年、国家体育委員会から体育栄誉奨章受章。同年、国家囲棋集中訓練隊教練員となる。
1985年にオーストラリアに移住。1988年の第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦ではオーストラリア代表として出場、1回戦で趙治勲に敗れる。第2回大会ではシドニー代表として出場、依田紀基に敗れる。1989年から韓国棋院客員棋士となって、棋戦に参加。1996年第1回三星火災杯世界オープン戦では予選を勝ち抜いて出場、1回戦で馬暁春に勝ち、2回戦で劉小光に敗れる。1998-99年には台湾棋院客員棋士。
1999年に帰国、北棋牌学校副校長に就任。2000年、中国囲棋協会訓練センターの監督就任。同年、南方証券杯中国囲棋元老戦で、決勝で劉小光に0-2で敗れ準優勝。
2007年にシドニーの病院で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「呉淞笙」の詳細全文を読む




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