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呉 笈孫(ご きゅうそん、)は、清末民初の政治家。字は世湘。 == 事跡 == 清末に民政部尚書徐世昌の下で民政部民治司員外郎となり、徐が東三省総督となると、呉笈孫もこれに随行して衙門文案に任ぜられる。徐が京師に呼び戻されると呉もこれに随従し、郵伝部尚書となった徐の下で呉も地位を得た。 中華民国成立後に呉笈孫はいったん引退した。しかし1914年(民国3年)5月、徐世昌が北京政府で政事堂国務卿(首相の地位)に任ぜられると、呉もその下で政事堂司務所所長として復帰した。1916年(民国5年)5月、国務院印鋳局局長となった。1918年(民国7年)10月、徐世昌が大総統に就任すると、呉笈孫が総統府秘書長に起用されている。呉は南北和平交渉に参与するなど、徐を補佐した。1922年(民国11年)6月、徐の大総統辞任に伴い、呉も秘書長を退いた。 1947年(民国36年)、死去。享年73。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉笈孫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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