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三菱ふそうバス製造株式会社(みつびしふそうバスせいぞう)は三菱ふそうトラック・バス傘下のバス生産会社である。同社製のバス生産を一手に担当する。本社は富山県富山市婦中町道場にある。また、キャンターなどトラック用バンボディの箱も製造していたが、トラック事業部が2006年(平成18年)3月で廃止(バンボディの製造は2005年(平成17年)11月で終了)されたため、今はバス専業となった。 == 歴史 == 本社の源流は東洋紡績(1966年(昭和41年)に呉羽紡績を合併)系列の呉羽航空機である。太平洋戦争中、呉羽紡績富山工場が原料不足で戦闘機機体製造に転換し、陸軍キ106やMXY8秋草、その他基地偽装用の囮機等の生産に携わる〔三菱重工名古屋航空機製作所(大江工場)生産の一部が富山に工場疎開した際、呉羽航空機に対し航空機生産指導をしている〕。戦後、機体製造技術を生かしてモノコックバスボディの製造に活路を見出し、1950年(昭和25年)に呉羽自動車工業として分離独立した。 当初は国内各メーカーのシャーシを問わずに車体を架装し、主に北陸地方のバス事業者に卸していたが、1956年(昭和31年)に当時の三菱重工業の子会社・三菱ふそう自動車と提携関係を結んで以降、三菱自動車工業の指定バス車体メーカーとなる。1986年(昭和61年)に三菱自動車の資本が導入され系列下に入ったことから新呉羽自動車工業に改称、次いで1993年(平成5年)に東洋紡績が資本を引き上げ三菱自動車の完全子会社となったことを機に三菱自動車バス製造(MBM)に改称されている。2003年(平成15年)の三菱ふそうトラック・バスの分社にあわせて、同年10月に社名を現社名に変更した。 三菱のバスは長らく三菱自動車工業名古屋製作所大江工場(後の三菱ふそうトラック・バス大江バス工場)か、呉羽自動車が車体を架装したものを純正としていたが、この両社のバスのスタイルは、1970年代の前半まではかなりの違いがあり、呉羽製のボディは、車体全体に丸みを帯びていたのが特徴であった。その後も、ヘッドランプベゼル(前照灯ケース、前照灯枠)やバンパー、リア部の処理などに微妙な差があった(ただし、1980年(昭和55年)から数年間は、大型バスは名古屋製作所製と同一デザインだった)。全般的に見た印象では、大江工場製は高速バスや観光バスを得意とし、呉羽は路線バスを得意とする傾向が見られる。 1996年(平成8年)以降、大江工場では路線バス車体製造を中止し、また、1998年(平成10年)には観光バスの車体製造も中止した。その後マイクロバスのローザのみ大江工場で生産されてきたが、2010年(平成22年)6月以降は三菱ふそうバス製造に集約化された〔大江工場閉鎖と正社員2300人削減へ 三菱ふそうトラック・バス - J-CASTニュース〕。 2007年(平成19年)から三菱ふそうトラック・バスとUDトラックス(旧:日産ディーゼル)がバス製造事業における業務提携を開始したことに伴い、ノンステップ大型路線バス・中型路線バスの製造が中止されることになったが、その後2011年(平成23年)10月頃に提携を解消した。また、提携時、ワンステップバス・ツーステップバスおよび大型観光バスは日産ディーゼルにOEM供給されていた(その後、ノンステップ大型路線バスは2009年に、ノンステップ中型路線バスは2011年に製造を再開した)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三菱ふそうバス製造」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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