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【名詞】 1. Go-Etsu 2. two rival states in ancient China =========================== ・ 呉 : [ご] 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for ・ 呉越 : [ごえつ] 【名詞】 1. Go-Etsu 2. two rival states in ancient China
呉越(ごえつ 907年 - 978年)は中国・五代十国時代に現在の杭州を中心に浙江省と江蘇省の一部を支配した国。 ==歴史== === 初代・銭鏐 === 始祖・銭鏐は杭州の出身で、若い頃は塩の密売に関わった無頼の徒であった。唐末の黄巣の乱の時にこの地で董昌と言う者が現地の土豪を中心とした兵士をまとめて杭州八都(こうしゅうはっと)と呼ばれる軍団を作り、銭鏐はこれに参加して浙東観察使の劉漢宏との戦いで功績を上げ、887年1月に故郷の杭州刺史とされた。その後は杭州八都を自らの物とし、流賊の孫儒や、浙東で帝位を僭称したかつての主君・董昌、さらに淮南の楊行密らと抗争して蘇州・常州を確保。896年に鎮海・鎮東両軍節度使となり、両浙地方(浙江省の東部と西部のこと)を支配した。 907年に朱全忠が後梁を誕生させると、これに臣従して呉越王とされ、後梁を後唐が滅ぼすとこれにも臣従して、北の呉と南の閩に対抗した。 内政面では農地開発や首都の杭州の拡大修築を行い、海上貿易により高麗や日本とも通交した。またその利益を持って僧侶や文化人の保護も行った。その一方で民衆に対しては鳥・魚・卵などと生活用品に消費税を取り立てていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「呉越」の詳細全文を読む
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