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周 富徳(しゅう とみとく、1943年3月11日 - 2014年4月8日)は、広東料理の料理人。神奈川県横浜市中区の横浜中華街出身。通称・炎の料理人。 == 略歴 == 横浜中華街出身〔。在日中国人二世。武相高等学校卒。両親は中国広東省出身。兄に中華料理店オーナーの周富新、弟に同じく料理人の周富安、周富輝がいる。また、息子の周志鴻も料理人である。 18歳で料理の道に入る〔。新橋「中華飯店」で修行を積み、京王プラザホテル「南園」〔を経て、「聘珍樓」、「赤坂璃宮」〔で総料理長を歴任。1993年、「広東名菜富徳」青山店のオーナーとして独立〔。その後、以下の店舗を開店するが、いずれものちに閉店。 * 富徳 - 千葉県柏市、「PAZ新柏」〔ヨークマートをキーテナントにする2階建てのショッピングセンター。新柏駅からは徒歩30分程度。〕2階の文教堂書店横にあった。現在跡地はくら寿司。 * 王宮 - 埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)、大宮駅西口のファッションビル「アルシェ」8階にあった。 * 王宮茶房 - いわゆるデパ地下惣菜店で、上記「王宮」と同じく大宮駅の駅ビル「ルミネ2」1階にあった。 テレビ番組には「南園」時代から『きょうの料理』(NHK)に出演していたが、1990年代に入り『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)、『わいど!ウオッチャー』(火曜日のコーナー「周富徳の中華指南」、TBS系)、『たほいや』(フジテレビ系)等への出演でブレイクし、全国区の人気となる。特に『浅草橋ヤング洋品店』では「中華大戦争」として、弟や譚彦彬(学生時代の同級生)、金萬福らも巻き込んだ。当時、「カメラ目線」と浅草キッドらに突っ込まれていたが、実際はカメラのアップが嫌で睨んでいたのを「カメラ目線」と受け取られたというのが本人の弁。 さらに、『料理の鉄人』(フジテレビ系)では大親友でもある初代和の鉄人、道場六三郎との戦いでの活躍も有名である(対戦結果は1勝1敗)〔。 その後、セクハラ疑惑や脱税疑惑(税金の申告漏れ)でブームは縮小するも、中華料理店を多数経営していたほか、各地で講演活動を行っていた。 1993年10月26日放送、日本テレビ「いつみても波瀾万丈」にゲストとして出演、半生が回顧された。恋人(のちの妻)の手帳に無理やり「富徳とデート」と書き込んだなどのエピソードが紹介された。 『周さんのダイエット中華』(廣済堂出版)の著者であるが、自身は糖尿病を患う〔周富徳さん、佐野実さんを襲った糖尿病の恐怖 脳出血や失明など合併症リスク ZAKZAK by 夕刊フジ2014年4月14日閲覧〕。 2014年4月8日午後11時37分、誤嚥性肺炎のため、横浜市中区の病院で死去した〔中華の料理の鉄人 周富徳さん死去、71歳 日刊スポーツ 2014年4月13日閲覧〕(享年71歳)。なお、「広東名菜富徳」は息子の志鴻が引き継ぎ、現在も営業を続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「周富徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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