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周慎 : ミニ英和和英辞書
周慎[しゅう しん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)

周慎 : ウィキペディア日本語版
周慎[しゅう しん]
周 慎(しゅう しん、生没年不詳)は、後漢末期の武将・政治家。涼州武威(又は漢陽)の人。周毖(周珌)の父。『後漢書』の「霊帝紀」「董卓伝」や『三国志』の「孫堅伝」に記録がある。
『後漢書』「献帝紀」によると、時期は不明だが豫州刺史を務めていたことがあるという。
184年、涼州で族が漢人の辺章韓遂を首領にかついで反乱を起こしたとき、当初は左車騎将軍皇甫嵩中郎将董卓が追討の任にあたったが、185年になっても反乱を鎮圧することはできなかった。そこで朝廷は皇甫嵩を罷免し、董卓を破虜将軍に任命したうえで、
改めて車騎将軍として張温を派遣した。このとき、盪寇将軍の周慎は執金吾の袁滂と共に張温の討伐軍に随行した。
状況の変化に驚いた賊軍は総崩れとなり、董卓の追撃を受け散々に打ち破られ、城に逃げ延びた。周慎は張温の部下の孫堅と共に城攻めにあたった。孫堅は敵を兵糧攻めにすべきと進言したが、周慎はその進言を聞き入れなかったため、逆に兵糧を断たれてしまい敗北した。その後の周慎の動静は不明である。張温は長安に駐屯し、186年に在外のままで太尉に任命されたが、討伐の任を果たすことができなかった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「周慎」の詳細全文を読む




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