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和州吉野郡群山記(わしゅうよしのぐんぐんざんき、以下、群山記と略記する)は、江戸時代後期紀州藩の本草学者・博物学者、源伴存が著した地誌・博物誌。全8巻構成で、最後の2巻は特に和州吉野郡物産志と題されている。ここで言う物産とは人工の産物のことではなく、動植物や鉱物など吉野山中の自然に産するものを指し、したがって吉野の自然の博物誌となっている。 写本の吉野郡名山図志、和州吉野郡名山図志、吉野群山記といった題によっても知られるが、伴存自身が書名として採ったのは和州吉野郡群山記である。また、それら写本は内容の異同や書誌学的な誤りを含んでいるため、注意を要する(後述)。 == 解題 == 源伴存は寛政4年(1792年)、現在の和歌山市に下級藩士の子として生まれた。若いときから学問に長じ、本居大平に国学と歌学を、藩の本草家で、小野蘭山の高弟であった小原桃洞に本草学を学んだ。時の藩主・治寶に学識を認められ、藩医や、紀の川河畔にあった藩の薬草園管理をつとめる傍ら、藩命を受けて紀州一円と、さらに大和国、河内国、和泉国といった畿内近国に調査に赴き〔上野45 〕、その結果を25部以上・約290巻に及ぶ著作にまとめた〔奈良県史編集委員会188 〕。藩命にもとづく調査とは、すなわち資源開発のための調査であるが、これらの著作に示されているのは博物学的関心による地方動植物志である〔上野43 〕。 伴存の著作の特徴となるのは、ある地域を限定し、自ら調査することを通じて、その地域の地誌を明らかにしようとした点にある。その手法は、調査記録として、科学的に優れた写生図を描くこと〔奈良県史編集委員会135 、上野50、67 など〕に加えて、標本を作成することにより調査結果に裏づけを与える分類学的手法〔奈良県史編集委員会189 〕、および、広範な文献を渉猟することにより、自らの調査結果に考証を施す〔杉本273 〕文献学的手法によって特徴付けられ、吉野山中における調査の成果を収めた本書もまたそうした特徴を示している(後述)。こうした伴存の著作の特徴は、早くは文政5年(1822年)に北越に赴いた際の調査をもとに著された「白山草木志」および「白山の記」においても既に見られたが、群山記に比肩するものではなく、伴存の業績のひとつの頂点を示すものである〔上野55 〕。 群山記において記述対象となっているのは、吉野地方、すなわち、大峯山、大台ヶ原山、十津川や北山川流域の地理や民俗から、自然誌にまで及んでおり、その記述を通じて吉野地方の地誌を総合的に明らかにしている。そのようにしてまとめられた内容は正確かつ精密〔と評価されているだけでなく、伴存により採集された標本は、紀伊山地の植物誌研究にとって重要な資料となりうるものと考えられている〔。こうした伴存の業績は、小野蘭山から伴存の師の小原桃洞を介してつながる本草学から博物学への展開の系譜との深い結びつきを示している〔御勢3 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和州吉野郡群山記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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