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和村 幸得(わむら こうとく、1909年2月21日 - 1997年10月18日〔15.5mの防潮堤が大津波はね返した 日刊スポーツ、2011年7月3日閲覧。〕)は日本の政治家。 == 人物 == 岩手県普代村出身。盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進むが、健康を害して中退、普代に戻った〔。 1933年、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した。後に著した回想録『貧乏との戦い四十年』では「阿鼻叫喚とはこのことか。堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時にはなんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」と述懐している。 普代村役場で働いたのち、1947年に村長選挙に出馬して当選し、以後1987年まで10期40年に亘り務める。村長在任中には三陸鉄道開業を記念して「おれの北緯四十度」(作曲:船村徹、歌:鳥羽一郎)の制作を指揮した〔。また、大津波対策として高さ15.5メートルの防潮施設を建設した(後述)。 1987年4月30日の村長退任の挨拶の際、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語った。 1997年、88歳で死去〔Japanese village owes its tsunami survival to late mayor’s resolve to build huge floodgate 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和村幸得」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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