|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 和 : [わ] 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace ・ 和歌 : [わか] 【名詞】 1. 31 syllable poem ・ 歌 : [うた] 【名詞】 1. song 2. poetry ・ 乃 : [の] 1. (prt) (1) (uk) indicates possessive 2. (2) verb and adjective nominalizer (nominaliser) 3. (3) indicates question (sentence end) ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point
和歌乃山 洋(わかのやま ひろし、本名:西崎 洋(にしざき ひろし)、1972年5月12日 - )は、和歌山県御坊市出身、武蔵川部屋所属の元大相撲力士。現役時代の体格は身長178cm、体重166kg。得意技は突き押し、左四つ、寄り。最高位は西小結(2001年3月場所)。血液型はB型。 実弟は同じ武蔵川部屋所属の床山・床健、愛称は本名のニシザキ。家族は妻・長男・長女・次女(長女と次女は双子である)。 == 来歴 == 幼い頃から相撲を始め、5学年先輩である同郷の大輝煌と同じ相撲道場に通い、大相撲では和歌乃山の方が2年早く初土俵を踏んだ。中学時代は相撲部に所属し全国大会に出場する活躍を見せ、武蔵川部屋の関係者から再三の勧誘があり武蔵川部屋に入門を決意した。途中、大輝煌は先輩として「高校ぐらい出た方がいい」と中卒での入門に難色を示していたが、和歌乃山は「高校へ行っても何も勉強しないかもしれません。」と切り返したという。 1988年3月場所初土俵。曙、貴乃花、若乃花、魁皇らと同期。俗に言う「花の六三組」の1人である。早くから期待の星とされ1991年7月場所に十両に昇進。 1992年5月場所には新入幕を果たした(新十両・新入幕は若貴兄弟や曙より遅かったものの魁皇より1年早かった)。順調に番付を上げていったが、糖尿病を患って以降、精彩を欠く相撲が多くなり幕下で低迷した。徐々に復調し1998年11月場所に十両に復帰してからは十両・幕内に定着した。かつての様に粘り強い相撲が取れるまで体調が良くなり上位でも安定した成績を残し、2001年3月場所には小結に昇進し武蔵川部屋の全盛期を支えた。晩年は1度十両優勝して入幕したものの十両での土俵が続き西十両6枚目で迎えた2005年7月場所ではわずか3勝12敗という精彩を欠く成績で幕下へ陥落。 同年8月11日、引退届を提出、年寄・山分を襲名した。2006年9月30日には両国国技館で引退相撲を行った。 2007年6月には部屋のちゃんこ番の力士(当時、同年7月に引退)に対して包帯を巻いたほうきの柄の部分で両腕を繰り返し殴るなどし、約2週間のけがを負わせた疑いで同年9月下旬に傷害容疑で書類送検された。同年10月4日に報道陣に対して武蔵川(元横綱・三重ノ海)は「山分の行為はやりすぎた面があって残念。」と謝意を表した一方で「被害者の男性は新弟子に度々いじめを行い、恐怖を感じて部屋を辞めた弟子もいた。体罰は基本的に弟子を守るための行為だった。悪いのはいじめを行った男性の方で、男性を訴えるようにいじめられたものに準備させる。」といじめを行った力士に対する懲罰であったと主張した。〔朝日新聞2007年10月4日付〕しかし折からの時津風部屋力士暴行死事件の影響から世論が相撲部屋の体罰に敏感になっていた時期である上にちゃんこ番の力士が自らワイドショーで部屋を非難するなどの動きを見せたこともあって、一部で山分個人や武蔵川部屋に対する批判も起こった。 上記の騒動も関係したのか、2010年9月、武雄山の山分襲名によって日本相撲協会を退職した。 現在は東京都荒川区内で「串焼き どすこい酒場 和歌ボン」を営んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和歌乃山洋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|